2012年01月26日

撮影中

脚本作が撮影真っ最中でございます。まだ内容は明かせませんが、初めて取り組むジャンルであり(しかしずっとやりたかったジャンル)、半年かかったホンであり、非常に思い入れは強いのですが、何よりもキャストの方々が大変豪華でございまして、純粋に興奮しております。スタッフの布陣も最強なので、自分としては不安は一切ありません。無事に撮影が済むことを祈るばかりです。

ほかにもいくつかの企画が同時進行しており、いずれも勝負作だと認識しております。頑張ります。仕事をやり遂げることしか、さしあたり出来ることはないなという感じです。

「シナリオ倶楽部」で成島出監督をお招きしたこともあって(大盛況でした)、未見だった『八日目の蝉』『孤高のメス』を拝見しました。どちらも傑作でした。色々な意味で打ちのめされた感じです。ワンショットごとの充実した手ごたえと、強靭でゆるぎなき構造。重心の低い人間描写。この力強い感動の源泉は何だろう。メジャー映画というのは実力勝負の場なんだということを、作品自体が強烈に教えてくれました。俄然、向上心がわいてきました。まだまだ道は遠いですが、今後も精進する所存です。



……真面目か!
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2012年01月07日

1月23日シナリオ倶楽部のお知らせ

1月23日(月)のシナリオ倶楽部のお知らせです。

今回シナリオ会館との共同企画として『聯合艦隊司令長官 山本五十六』が公開中の成島出監督をお招きし、監督デビュー作『油断大敵』を上映致します。司会は白鳥あかねさん。菊島隆三賞の選考会が行われる関係上、17:30からの開始となります。

なお今回のシナリオ倶楽部は、上映会&トーク終了後、場所を近辺の居酒屋に移しての懇親会となります。成島監督のお話をじかにうかがえるチャンスです!

なお、同日14時から開始の菊島隆三賞の選考会は無料でどなたでも参加できます。 シナリオ倶楽部は選考会終了後となります。菊島賞選考会については下記をご参照ください。

http://www.scenario.or.jp/kikushima.htm
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2012年01月02日

今年もよろしくお願いいたします

あけましておめでとうございます。

昨年はたいへんお世話になりました。

……どなたに?

不特定多数の、そしておおぜいの方々に。

人があって自分がある、人があって仕事がある、としみじみ思いを至らせるお正月でございます。

もう、感謝だけです。

お世話になってばかりでなく、少しでも多くの方に恩返しのできるような人間になろうと思います。

ことしも何卒、よろしくお願い致します。


港岳彦
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2011年12月31日

2011年の終わりに

大きな出来事ばかりが立て続けに起きた一年だった。それらをひとつひとつ振り返る精神的な余裕も、時間的な余裕も今はない。元旦までに脚本を一本提出せねばならないし、年賀状も書いていない。色々あった一年だけれど、2011年の終わりに、仕事のこと、表現のことを少し書いておこうと思う。

ことしは例年以上に多くの仕事をこなした。けれど、一本も映像化されていない。目に見える形での結果は残せなかった。それでもすばらしい出会いがいくつもあった。尊敬すべき監督やプロデューサーとの出会いが、脚本に対する考え方、「映画」の捉え方について、視野を大きく広げてくれた。才能豊かな映画人たちとのご縁が自分にもたらしたのは、これまでのやり方は通用しない、という危機感だった。いや、そもそもこれまで自分の表現が大向こうに通用したためしなどありはしないのだ。

危機感の根っこには、自分の立っている場所で求められる表現が、これまでとは異なってきたということもある。日本映画界の状況とも少し関わっている。震災によって揺らぎの生じた死生観、師匠の死によって豁然と響き始めた「個として立て」という内なる声、「未来を自分の手で創れ」という誰かの声が切迫感を煽り立てている面も無視できない。

それに呼応する形で、今後、物語を紡ぐ上で必要なことは何だろう、ということをずっと考えてきた。思念を机上の空論として弄繰り回していると思われては困る。常に仕事の中で、実践の中で考えてきた。ことしの下半期になって、何となく掴めてきた。それは大雑把に言うと「大きな物語は死なない」ということである。普遍が指し示すものをこれまで以上に凝視することである。表現としての「強さ」を志向することである。映画は終わるかもしれない。でも劇は決して滅びない。その深い確信が、今の自分にはもっとも必要なことだった。

こうした個人的な探求は、観客に対してより強い表現を提示したいという欲求と結びついている。俗な言い方をすれば「観客」というものをより明確に意識し始めたということである。今後、そのための努力は惜しまないつもりだ。まあ結果がどうなるかは神のみぞ知る、ですが。

そういうことです。これが波乱に満ちた2011年の締めくくりの言葉なんだろうかと我ながら呆れるが、美は乱調にあり、表現への気持ちが純化していることを今は肯定的に捉えたい。個人的に考えていることが、大勢の人間が見る映画の根幹にストレートに反映されると信じていたい。

ことしは誰にとっても大変な一年だった。その重さをしっかり引き受けつつ、来年は良い年にしていきましょう。

ことしも一年間、ありがとうございました。
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2011年12月16日

携帯復活しました

■携帯復活しました。
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2011年12月15日

携帯止まってます

■あー、一応こちらでも書いておきます。お金がなくて携帯を止められてしまいまして。当分電話も携帯メールもできません。ご了承くださいー。

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2011年12月01日

『大津波のあとに』(森元修一監督)『槌音』(大久保愉伊監督)『ふたつのウーテル』(田崎恵美監督)『わたしたちがうたうとき』(木村有理子監督)

■本日発売の月刊シナリオ1月号、桂千穂さんの「映画館へ行こう」のコーナーで、座談会の末席を汚しております。『恋の罪』や『一命』などについて無責任に喋っておりますので、よろしければどうぞ。

■渋谷のアップリンクで明日まで上映している『大津波のあとに』(森元修一監督)と『槌音』(大久保愉伊監督)を見た。とてもよかった。現在、「3.11」という言葉は、どちらかといえば原発問題を意味する場合が多い気がするけれど、この二作品は徹頭徹尾大津波による被災に焦点を絞っている。

■特に『大津波のあとに』は良かった。大津波という圧倒的な現実、大いなる事実を前にしたときの、撮影者の畏怖や被写体となる現地の方々への敬意が、意図的でなく無意識のうちににじみ出ていた。「ドキュメンタリーとは」「ジャーナリズムとは」といった議論をなきものとして制作、否、「記録」されている。作為や自意識の滅却が自然と行われている、と言い換えてもいい。作為を作為と見せない操作が行われているとしても、その滅却のありかたに深く頷かされた。

■森元監督はアフタートークで「セルフドキュメンタリーにはしたくなかった」と仰っていたが、自己言及する余裕などない状況だっただろうし、「自分」を捨てることが、外部から被災地へ降り立った者の最低限の礼儀であり、節度なのだと思う。大きな現実を前にして露呈される「自己愛」ほど見苦しいものはない。ワンカット、監督自身を鏡越しに捉えるショットが挿入されているが、個人的にはあってもなくても作品総体の印象は変わらないと思った。今後もどこかで上映の機会はあるような気がするので、その際はぜひご覧になってみて下さい。

http://fartheron.soragoto.net/
『大津波のあとに』『槌音』公式サイト


■昨日は渋谷でやっている「NO NAME FILMS」をワケあって見に行き、若い監督たちによる多くの短編を見た。中でも『ふたつのウーテル』(田崎恵美監督)と『わたしたちがうたうとき』(木村有理子監督)はとても良かった。

■テクノロジーの進歩によって誰でも映画が撮れる時代となり、ある程度の「見栄えがする画面」を構築することが可能になった。前にも書いた気がするけど、それはとても残酷な時代になったということだ。結局のところ作家が人間をどう捉え、どう描くかという、非常にアナクロな(だが根本的な)”才能”について、誤魔化しがきかなくなっかたからだ。上記の二人の監督はその意味での根本的な才能が光っていた。その「光」が、長じて「映画」の技術に貢献する。逆ではないんだということを再確認させられる作品だった。
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2011年10月29日

『映画芸術』最新号に馬場当先生の追悼文を書かせて頂きました

月末発売の『映画芸術』最新号に馬場当先生の追悼文を書かせて頂きました。

http://eigageijutsu.com/

池端俊策さん、我妻正義さんという兄弟子たちに肩を並べるのは、正直、とても気が重かったのですが、馬場門下生としては最後の世代であり、師匠の最期の日々を見つめた者として、その思いを綴らせて頂きました。

馬場さんは映画学校入試の際の面接官であり、池端さんは一年次の脚本コースの担任でした。我妻さんは永遠の問題児で、今回の追悼文もかなり凄いことを書いていますが、同時に馬場先生に対する非常に鋭い批評・分析になっていると思います。

他に、去年川崎ミュージアムで行われた山田洋次×いまおかしんじ×馬場当、篠田正浩×馬場当のトークも採録されております。すべて大変面白い内容で、記録として紙媒体に残ってよかった、と心底思います。このような機会を与えて下さった『映画芸術』誌に感謝です。

そしてもちろんメイン特集の「追想・原田芳雄」も読み応え十分です。今号は迷うことなく買い!
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2011年10月17日

第151回シナリオ倶楽部のご案内

■第151回シナリオ倶楽部のご案内

■ゲスト 渡辺千明さん、(特別ゲスト)桑田健司さん、我妻正義さん

■日時 10月24日 午後17:00〜

■場所 シナリオ会館3階シナリオ講座

■六月二十九日、脚本家の馬場當さんが亡くなられました。享年八十四。代表作は『乾いた花』『復讐するは我にあり』『サヨナラCOLOR』等。一九四八年から松竹大船撮影所の脚本部員となり、一九五七年、フリーとなりました。邦画黄金期の生き証人であるばかりでなく、人間を深く抉る作品を遺した真のシナリオ作家でした。

今回はそんな馬場當さんを追悼し、『復讐するは我にあり』(今村昌平監督)を上映致します。毎日映画コンクール、キネマ旬報賞、日本アカデミー賞等で数々の脚本賞を受賞した、言わずと知れた大傑作です。
ゲストの渡辺千明さんは『十八歳、海へ』『ジャイブ 海風に吹かれて』等を手掛けられた脚本家ですが、横浜放送映画専門学院(現・日本映画大学)の二期生として馬場さんと邂逅し、『復讐〜』の苛烈な執筆現場に立ち会った一人でもあります。また本誌にて好評連載中の「山内久/玲子・空にまた陽がのぼるとき」の聞き手としても活躍されておられます。山内久さんは松竹における馬場さんの同期であり、馬場さんの生涯を通じて盟友であった方なのです。馬場當さんの人となり、作家性について、詳しくお話を伺えればと思います。

※また、〆切の都合上、月刊シナリオ誌の告知では明記できませんでしたが、今回は、渡辺千明さんのほかに、桑田健司さん、我妻正義さんのお二方の参加も決まっております。みなさまぜひご来場ください。
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2011年10月16日

『トーキョードリフター』(松江哲明監督)『アントキノイノチ』(瀬々敬久監督)

最近、試写で見た作品について少し。


『トーキョードリフター』(松江哲明監督)

いわゆる「3.11」以降の映画、というものが世の中にはあるという。でもおれは見たことがない。いや見る機会はあったが、本音をいえば「見たくない」のだ。震災の翌日から、仕事の打ち合わせなどで何度も新宿に出た。歩きながら街の様子を脳裏に刻みつけていった。すでに放射性物質の話題でもちきりだったから、外出するだけで気が重かった。そして、津波に遭ったわけでもなく、避難区域でもない土地に暮らす人間がそんなことで気が重くなってしまうことで、とても後ろめたい思いをした。あの途方に暮れた感じ。非常事態そのもののような街の空気。恐怖と不安と悲しみばかりを突きつけて来るTVの映像。思考をパンクさせるネットのニュース。一ヶ月経つと、師匠のことがあり、仕事も重なって、肉体的/精神的にとことん追い詰められた。今はだいぶ落ち着いてはいるけれど、あの頃のことを振り返りたいとは少しも思わないし、悪いことに、すべては現在進行中なのだ。

『トーキョードリフター』は五月のある一夜に撮られた作品で、『ライブテープ』同様、シンガーの前野健太が、街角に立ちギター一本で弾き語りする様子を捉えた作品だ。音響設計の見事さは素人でもわかる。意図的に「ビデオテープ」を想起させる画質やほとんど懐かしい感じの字体(裏ビデオってあんな感じの字体が多かった)など、狙ってきた導入。やがて主人公は単車に乗って到着する。あとはあちこちの夜の町で歌う前野健太が淡々と映し出されていく。いつしか雨が降り始め、それは朝まで続くだろう……。正直、自分はこの方の歌があまり好みではないのだが、皮肉でも何でもなく、単車を走らせながらAKB48の「ヘビーローテーション」のフレーズを自然に口ずさむ場面がいちばんよかった。あの頃の街の気分、街の空気、そんなものを、あの曲を「口ずさむ」という仕草でぜんぶ背負ってしまっていた。そしてそれこそが本作の狙いなのだと思った。

『ライブテープ』はドキュメンタリーが生成される場と時間と方法論をあけすけに開示することによって、誰にでも楽しめる作品になっていた。今回はそうした意匠をあえて捨てている。大きな現実を前に、そうしたメタな演出は不誠実にあたるからだ。では本作の生身の表現は結果的に誰に何をもたらしたのか。自分はこの作品を見ながら(ああ、これは『ライブテープ』殺しだな)と思った。それは自己の方法論に対する一種の否定だ。断絶かもしれない。『ライブテープ』が余すところなく捉えていた「幸福なお正月」はもう二度と来ないと明言したようなものである。

こうした見方はいわば松江哲明という監督の作品歴、その文脈に沿ったものだ。それが正しいことなのかどうかはわからない。ミュージシャンのファンは自分とはまるで違った目で見るだろうし、突き放した見方をすればこれは端的に「記録映像」である。それでいいとも言えるし、それでいいの? との疑義も湧く。自分は複雑な感情が渦巻くまま試写室を出た。

自分がうまく感想を言えないことに対する言い訳ではないけれど、この作品に関する明快な批評、明快な絵解きはいらないんじゃないかという気はした。雨に濡れる夜の渋谷にごろんと転がった映像――即物的なまでにそうした感触を残す作品である。


12月10日よりユーロスペース他にて公開
http://tokyo-drifter.com/
公式サイト



『アントキノイノチ』(瀬々敬久監督)

遺品整理の仕事を始めた吃音症の青年(岡田将生)と、心に傷を負った同僚の女(榮倉奈々)が、少しずつ心を通わせていく姿を丹念に描いたヒューマンドラマ――ならばどれほど良かっただろう。いや、基軸となるのはそうしたドラマであり、傷ついた男女の触れあいにはぐっときたのだが、それ以外の要素が過剰なまでに積み重なり、最後の方ではドラマを追い切れなくなってしまった。俳優陣が若手もベテランもみな好演しているのでとても惜しい気がした。悔しかった。

主演のふたりがとにかくいい。イケメンをかなぐり捨てた岡田将生の独特の芝居。痛みを抱えた生を余儀なくされる榮倉奈々の可憐さと痛ましさ。二人の過去はまったくもって辛いものなんだけど、「辛さ」を背負った仄暗い感じが滲み出ていた。主人公に「罪」の刻印を押して退場する染谷将太も文句なしの存在感。彼が退場するショットは久々に「うおっ」と唸った。主人公たちの同僚を演じる原田泰造もお見事。ある場面で彼は「ブレーカーある?」と言うんだけど、あの自然さというか「現場の人」の感じにはちょっと驚いた。

また、人物たちが生活を営む場所、土地、風景への徹底したこだわりはさすがに「映画」だった。孤独死する人物たちの住む土地、部屋の様子など、いかにも瀬々監督らしい風景論的世界が広がっていて、ひたすら唸らされる。それだけに、どうしてそこまでして客を泣かせようとするのかとキツかったです。原作がそうなのかもしれませんが。


11月ロードショー
http://antoki.jp/index.html
公式サイト
posted by minato at 02:10| 東京 霧| Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする