2015年12月26日

鈴木忠志のSCOT吉祥寺シアター公演『エレクトラ』&『からたち日記「由来」』

鈴木忠志のSCOT吉祥寺シアター公演、昨日は『エレクトラ』。今日は『からたち日記「由来」』。両方とも上演後のトーク付きで、とっても尊くて、幸福な時間だった。
劇構造、人物、台詞が極限まで切り詰められた『エレクトラ』(原作:ソポクレス/脚色:ホーフマンスタールのテキストを鈴木忠志が再構成したもの)は美しく、狂っていた。
「愛人と共謀して父を殺害した母を、弟を誑し込んで殺害する女の物語」であるところの『エレクトラ』物語は、精神病院の患者の女が見ている妄想と捉え直される。したがってエレクトラ(佐藤ジョンソンあき)の鍛え抜かれた筋肉も、強すぎるまなざしも、復讐の鬼というよりは狂人のそれかもしれないという疑念をたえず抱かされる。
車椅子に乗って大股を開きながら英語で台詞をまくし立てる母クリテムネストラ(エレン・ローレン)は、派手で大輪の花のように狂っている。彼女だけが英語なのは、単にキャスティングの問題なのかもしれないが、あたかも日米関係の揶揄の如く見えて来るところが可笑しい。
妹のクリソテミスは、何やら謀を企んでいる目で内と外を往還し、エレクトラに狂気のガソリンを注ぎ込む。ゴドーのように待ち望まれていた、復讐を代行する(させられる)弟オレステスは、登場した瞬間に、誰もが一発で「オレステス」とわかる凛々しい風貌でありながら、その四肢はいびつに硬直しており、布で覆われ隠されている。すべてがいびつ。すべてが不安定。それでも復讐の完遂は目的の達成であり、祭りの終わりである。悲劇のカタルシスはどこか徒労めいたエレクトラの退場で打ち消される。出演者が車椅子でぐるぐると舞台を回り続ける幕切れは、祝祭のようであり、儀式のようであり、エレクトラが日常的に見ている悪夢のようでもであった。
上半身裸で車いすを乗り回す患者たち(コロス)が放つ呻き声や苦悶の表情(実存の確かさの極限=身体の痛み=ベケット『ゴドー』で描かれる歯痛など)にカントールを思い、始終舞台に立ってドラを叩きまくる雄弁な演奏者(高田みどり)にP・ブルックの『バトルフィールド』を思い、「動かない」ことで沸騰するエネルギーの磁場でエレクトラの狂気が激しく高められていくテンション、そしてふいに訪れる静謐に、お能を思った。今年自分が手探りで追い求めてきたものの軌跡がそこに集約されたみたいだった。もう一つ。ここまで身体性に拘ったアヴァンギャルドな舞台において、黒光りするようにいよいよ強靭さを発揮するギリシャ悲劇のテキストよ……。もしくは、テキストの重さを真正面から受け止めた鈴木演出の凄味というべきか。古典は尽きせぬ表現の油田であることをディープに証明した舞台だった。
『からたち日記「由来」』は『エレクトラ』とはまるで違い、日本の伝統芸能をモダンかつ精魂込めて蘇らせたような力強さが魅力だった。古い日本家屋を模した部屋に座る三人の男女は上演が終わるまで立ち上がる事が出来ない。文楽の太夫と同じである。内容は大正時代に起きた事件に材をとった「心中もの」で、物語るのは真ん中に座る気の狂った老いた母親(内藤千恵子)。彼女の左右にいるのは、台本によると、「息子」とチンドン屋の「伯父」らしいのだが、その二人の台詞の殆どを、彼女が代わりに喋ることになる。その意味においても太夫であり、吟遊詩人であり、琵琶法師でもあるという、カタリモノ、芸能の起源みたいな形式で、古式ゆかしい不倫劇が語られる。
それにしても喋りっぱなしの母を演じる内藤千恵子という女優さんの声色の変化、リズム感、何よりも太夫としてのパワーには圧倒される。モノガタリの中で、心中は未遂に終わり、男だけが無残に死ぬ。女は顔にヒドイ傷を負って生き残る。彼女はそこで心中直前に見た、愛する男の背中を思い出してこう言うのだ。「さよなら、初恋」。どっと涙が出てしまった。これは作品の目指す地平からすると、とても俗っぽい部分なのだ。そんな甘っちょろい涙を嘲笑するような知性で統べられたハイアートなお芝居なのだ。だがその大衆的な、メロドラマ的な、しかし純然たる美しさを放つ声色と言葉に、その情感の素晴らしさに、心がぐっと掴まれてしまった。心中事件と並行して語られるロシア革命や国会や天皇制といった、いかにも男性的なロマンや権力機構が、男女が飛び込む汽車の轟音に結実する演出など、相対化の手腕は見事なのだが、結果的に自分が強く打たれたのは悲恋の情緒だった。日本の伝統芸能「心中モノ」の繊細で優しい部分が瞬間的にクローズアップされたみたいだった。幕引きの「ありがとうございました」があんなにきれいに響いた例を他に知らない。
今年最大の衝撃だったカントールを追いかけていたら、鈴木忠志に出逢った。どんな方なのかまだ全然わからない。でも三日間通い続けてその作品と言葉に接した感じでは、なんだか大きな魚にぶち当たった感じだ。求めよ、さらば与えられん。
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2015年07月28日

『封印された旋律〜ガス室に消えた音楽家たち』

ヒストリーチャンネルで放映していた『封印された旋律〜ガス室に消えた音楽家たち』。傑作だった。2001年に制作された2時間のドキュメンタリー。詳細は下記。

https://www.historychannel.co.jp/detail.php?p_id=00223

ユネスコの平和芸術家に日本人として初めて任命されたヴァイオリニスト、二村英仁氏は、チェコのテレジンにある収容所跡へ向かう。そこでアウシュビッツで命を落としたユダヤ人作曲家、ギデオン・クラインを知った氏は、彼が遺した楽譜を演奏会で演奏することを決意する。

ギデオン・クラインの短い軌跡を辿る旅が始まるが、それは必然的にホロコーストに向き合う旅、その時代の証言者たちと出会う旅となる。少しずつ見えて来るギデオンの素顔。見つかる新たな楽譜。絶えず視界を横切る膨大な、あまりにも膨大な数の犠牲者。ついに氏は生存者が暮らすイスラエルへ……。

「芸術とホロコースト」という大テーマ、その諸相が多角的に繊細に掘り下げられていく。若き日本人ヴァイオリニストが案内役となったことで、かえってホロコーストという事態が肌理に迫るものとして感じられた。同時に音楽が時間を超え、国境を越えてゆく凄いものなんだと改めて教えられた。

映画は死者を蘇らせる装置で、戯曲は古人の霊廟だ。楽譜もまた音の形で永遠なる芸術を蘇らせてきたが、時にはホロコーストによって消された人々の声を、言葉や視覚ではなく、言葉や視覚ではなく、息遣いとして、「声」として蘇らせ得るのだ。だが楽譜を手にした現在の演奏家は「声」を憑代となって表現せねばならない。

二村氏が蘇らせるギデオンの曲は、ひどく息苦しく神経質で、ネガティブな響き。1940年台初頭のチェコのユダヤ人の心理的な圧迫感、恐怖、絶望が「音楽」の形で現在に溢れだす。その息を飲む黒々とした感触。すぐに収容所へ連行されたためか、曲は二楽章の途中までしか書かれていない。

二村氏は葛藤する。演奏会の際に、中途半端に終わってしまう楽譜をそのまま演奏するのか、いくばくかのアレンジを施して体裁を整えるのか。最後に導き出される答えは詳らかにしないが、この作品は、氏の選択を「問いかけ」という言葉で表現した。……打ちのめされた。

ディレクターの古賀美岐さんって凄い方だなぁ、と思って検索したら、同姓同名のデイレクターの方が08年にヒマラヤで亡くなっていたとの記事を見つけた。ご本人かどうかはわからないけれど。ともかくこれは素晴らしいドキュメンタリーだった。
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2015年07月15日

ぶれひとの言葉

気分はもう戦前なので、時間を見つけてはヒストリーチャンネルで放映しているナチ、ホロコースト関連ドキュメントを見ている。何百万もの人間を強制収容所に集めて殺戮するプロセスが、映像によってつぶさに検証されていくことで、かえって非現実的な出来事に思えていく。なんであんな想像を絶する大虐殺が可能になったのか、かえってわからなくなっていく。

並行してひたすらブレヒトの戯曲を読む。ブレヒトの戯曲は非リアリズムだし、人間は名前を剥奪された記号、物語は寓話、そこに幾重にも政治的メッセージを編み込み、観劇した観客に束の間のカタルシスを与えるのではなく、現実の「行動」へ誘う、という性質を持っている。そうした手法がなんだかとっつきにくくて、長らく敬遠してきたのだが、上述のドキュメントで1930年代から40年代の東ヨーロッパの映像を重ね合わせながらブレヒトの生きた現実を考えると、俄然、台詞の響き方が違ってきた。劇の激さ、強さ、怒りがぐいぐいと迫って来た。

なかでも『第三帝国の恐怖と悲惨』『カラールのおかみさんの鉄砲』など、同時代を背景とし、比較的リアリズム寄りの手法で書かれた作品は、分厚さや強さはなくともひしひしと激しい。『第三帝国〜』なんてロッセリーニの戦争三部作みたいだ。当時としてはルポルタージュな性格もあり、ファシズム批判という明確な意図のもとに書かれたと思うが、荒々しい現実に言葉でもって拮抗しようという劇作家の叫びが、読んでいる間じゅう、胸に刺さり続けた。

戯曲の言葉も、脚本と同じように、単に書かれただけでは完成品ではないはずだが、1930年代の言葉が、当時の映像資料という弁士の解説によって脳内スクリーンに蘇り、たとえば映画を見ながら脚本を透視して(凄い脚本だな)と感嘆するように、一巡して、ああやっぱり言葉は凄いと唸ったような感じだった。それまで萎れていたのに、水につけたらまた命を取り戻す花みたいだった。

ちなみに先ごろ、ある劇団の上演した『セチュアンの善人』を観劇したが……ブレヒトの深い思惟や思いのたけの籠った言葉も、解釈者の目線が半径5メートル内にしかないのであれば、戦慄するほど矮小化されてしまうのだなあと背筋が寒くなった。言葉は読む者にその生命のゆくえを委ねる。生かすも殺すも……自分次第、あなた次第なのだ。かといって敬して遠ざけるような真似は必要ない。むしろブレヒトのような古典の言葉にこそ現在を読み解く鍵が潜んでいるし、だれかの偉大さを知ることは自らの小ささを知ることであって、それは前向きな営為だと信じる。

ブレヒトという戦時下の物書きが、どんな言葉を使ってナチという現実に立ち向かっていたか。自分は彼のことをよく知らず、戯曲以外の文章はたいして読んでいないけれど、ひたすら水につけることで花を咲かせ、その花が何を言わんとしているかにジッと目を凝らしたいなどと思う7月15日の朝なのだ。
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2015年06月23日

『縛師 日活ロマンポルノSMドラマの現場』(浦戸宏著)の書評を書きました

発売中のキネマ旬報7月上旬号(『アベンジャーズ2』が表紙のやつ)に、『縛師 日活ロマンポルノSMドラマの現場』(浦戸宏著)の書評を書きました。『私の奴隷になりなさい』と『花と蛇 ZERO』の脚本家だからという大雑把な理由で編集部から狙い撃ちされた感……。

書評では主に著者が参加した撮影現場のエピソードについて触れましたが、個人的に面白かったのは、美濃村晃のペンネームである喜多玲子(美濃村は責め絵を描く際にこの名を用いた)を、伊藤晴雨がかたくなに「美濃村の奥さん」だと信じていたくだり。女性でないとあんな責め絵は描けないはずと伊藤晴雨に思わせるなんて、そんな褒め言葉ないなぁと思った。

あと団鬼六先生が若き日、飲み屋でグラスを傾けながら「おれ、このままエロ雑誌の、エロ原稿を書いていて、ええやろかなー」と呟く場面。青春だなぁ! 団先生の『悦楽王』やその評伝『赦す人』(大崎善生著)を楽しんだ人には、あの世界のもう一つの青春が描かれていて面白く読めると思います。えええと思ったのが芳賀章(芳賀書店社長ですよ)の肖像。シベリアで捕虜だったのかよ!

ちなみにちなみに。著者が縄師を担当しなかった現場なので触れませんでしたが、わたくしがSM映画の最高峰だと思うのは『発禁本「美人乱舞」より 責める!』(田中登監督)です。脚本はいどあきお。SM映画というより女の情念映画でしょうけど。
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2015年06月22日

『マッドマックス 怒りのデス・ロード』(ジョージ・ミラー監督)

『マッドマックス 怒りのデス・ロード』(ジョージ・ミラー監督)。いやぁ面白かったわ……。

例によって、中学生しかいない荒野をさまよう汚れた聖人のお話。シャーリーズ・セロンが主役で、マックスが添え物になってるところが、物足りないと言えば物足りないけれど、「マックス」というキャラクターを追求することでなく、「マッドマックス」という世界観を構築することが本シリーズの神髄なのだと思い直し納得した。シャーリーズ・セロンの、顔だけですべてを物語る芝居が良すぎた。もう惚れ惚れしました。物語の折り返し地点でのマックスたちの判断、あそこで涙腺が緩んだ。『インターステラー』でも強く打ち出されていた「旅の本質」がキッチリ押さえられていたからだと思う。

小学生の時に一作目、二作目をTVで見て、映画の激烈さ、怖さ危なさ、そしてカッコよさを、ジョージ・ミラー先生から教えられた。おらが不惑を超えた今もこんなに面白い映画を作り続けていることが、何というか……マジカル。
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2015年06月19日

『遺言』(木部公亮監督)/『ニート・オブ・ザ・デッド』(南木顕生監督)

『遺言』(木部公亮監督)と『ニート・オブ・ザ・デッド』(南木顕生監督)の二本立て。ゾンビものの良さが全然わからないのだが、南木さんをおくらなきゃなぁ、なんて想いで向かったら、ことのほか面白い目に遭った感じだった。
『遺言』は映像が濃密かつパワフルで、クセの強い短篇だった。ロケーションも変にスケール感があって見ごたえあるし、タイトルの由来が最後にわかる展開もいい。終末感ってこのくらいの腕力で描かないと説得力も面白味ないよなぁと唸った。かなり大きなチカラをもつ監督なんじゃないかと思う。
『ニート・オブ・ザ・デッド』は、以前シナリオ会館での追悼上映でも見ていたけれど、やっぱりユーロのスクリーンで見ると別物だった。南木さん自身、「これは『人形の家』なんだ」と仰っていたとかで、脚本は古典的かつ堅実なプロフェッショナルの仕事。いまどきの「あるある」風に引き算でシーンを構成するタイプではなく、いわば教科書的で、そこは好き嫌いがわかれるところかもしれない。でもね、最低限こういった段階を踏んで話を進めないと「プロ」とは呼ばないんだよ!
……という南木さんの声が聞こえてきそうだった。
上映後のトークで、ゲストの佐藤佐吉さんが「南木さんと10年ぶりに再会した場に港さんがいて」みたいな話をされてて、うおぅ?となってたら、ああああれだ、2010年に阿佐ヶ谷ロフトで行われた映画一揆さんのイベントだった。そうそう、あの時南木さんが観覧に来てて、休憩時間になぜか二人して『殺し屋1』の脚本は凄い!という話で盛り上がったんだった。あの映画のことは色々な人が色々に語るけど、あの構造を「発明」した脚本が凄いんだって話しが通じた人って、よく考えたら南木さんが初めてだった。そこへ佐吉さんがいらしたのでお声掛けしたら、お二人が旧交を温めてらしたんだった。トークを聞かなければなかなか思い出せないことだったように思う。
あの時のイベントで知り合った方も多かったし、あれが縁で仕事になって、そんで大喧嘩して別れる羽目になった方もいたな……(遠い目 
そんなこんなで『遺言』『ニート・オブ・ザ・デッド』、26日(金)まで渋谷ユーロでレイトショーです。ぜひ。
https://www.facebook.com/neetyuigon
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2015年06月17日

『THE COCKPIT』(三宅唱監督)

『THE COCKPIT』(三宅唱監督)。小品と呼ぶべき作品だと思うが、とても良かった。ミンガス感あふれる兄ちゃんをあんなに長々見つめる機会ってそうないだろうなぁと眺めるうちに、ものつくりonものつくりの映画なんだってわかって、一気に親近感わいた。

兄ちゃんらが小部屋に籠って延々とものづくりに没頭するこの空間は、特別なものでもなんでもなく、ありふれたものだ。おれが通っていた工業高校の機械工作の教室も、放課後の音楽教室も、やってることはまったく関連も何もないが、こんなもんだった。いわずもがな、映像編集・録音スタジオ(そしてスタジオがわりの技師の部屋)もこんな感じだ。要するに少しでも「ものをつくる」という行為に関わる現場には、必ず醸し出される空気感というものがあり、本作はそれについての映画ということだ。

にもかかわらず、この場を、空間を、ひと様にお金を払わせる「映画」として特権化するのは、魅力ある被写体を揃えることは当然として、それを切り取る画角であり編集のタイミングであり、ことによったら、日本映画がなぜか苦手とする「人物の頭をきちんと撮る」ことであったりするのだった。そしてそれを「あー、三宅監督ってやっぱ才能あるんだな…」とため息がこぼれるレベルで達成し得ていた。

トラックを作る作業には、ひとつの創作物にいかに多くのレイヤーがあるかを素材(既成の楽曲、リズム、カモメのSE、他…)を重ねることで単純明快に表現できる優れた特性があって、これは文字や単なる視覚表現ではあんがい伝わりにくいものだ。やっぱり音だから、いや、ヒップホップだから伝わるのだ。何より、創作のど真ん中にあるのは、個人の「快楽原則」なんだってことが、ミンガス兄ちゃんの表情や振る舞いひとつで瞬時に伝わってきた、すなわち、映画だった。

出来上がった楽曲が面白いのかどうかおれにはさっぱりわからない。ただ、劇場が明るくなったとき、近くの客席の兄ちゃんが「時期尚早、時期尚早」(見た人ならわかる)と呟いて、周囲にゆるい笑いが広がったのを見て、なんだかにやついて帰宅した一夜であったことよ。
posted by minato at 07:51| 東京 ☁| Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年11月08日

脚本作『夜だから』(福山功起監督)、公開です!!

脚本を書いた映画『夜だから』(福山功起監督)、8日(土)より公開です。
http://jillmotion.com/night.because/
東京では新宿バルト9。
http://wald9.com/index.html
上映開始が大変遅めのお時間となっておりますのでご注意ください。
よろしくお願い致します!
posted by minato at 00:50| 東京 ☁| Comment(0) | 告知 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年11月03日

もろもろの告知


○明日4日(火)22時〜レインボータウンFM「小山田将のシネマサプリ」に出演します。お呼ばれするの3度目だ…。映画『夜だから』についてお話しするつもりです。下記URLでネットでも見られますので、ぜひ。

http://cinemasuppli.com/

○発売中の月刊「シナリオ」12月号の「作家通信」で、『夜だから』について書きました。大原久澄Pと主演の千葉美裸さんについて。映画はいよいよ11月8日(土)公開です!

http://www.scenario-drama.jp/sce/top.html

○5日(水)発売の「キネマ旬報」11月下旬号(『安藤サクラの素っ裸が見たい!』って特集…)で、『曽根中生自伝 人は名のみの罪の深さよ』の書評を書きました。脚本家のはしくれとして感じたことを率直に。

http://www.kinejun.com/book/detail/tabid/89/pdid/kinema_No1676/Default.aspx

○発売中の『オールタイム・ベスト映画遺産 外国映画男優・女優』(キネマ旬報社刊)に参加しました。オールタイムでなく「その夜の気分」で選んじゃった。だからパチーノもデニーロも入ってない。でもそれが水物としての映画だ(強弁)。

http://www.kinejun.com/book/detail/tabid/89/pdid/978-4-87376-801-4/Default.aspx
posted by minato at 21:41| 東京 ☁| Comment(0) | 告知 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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