2008年07月26日

ハッシャバイ、ジョニー・グリフィン

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ジョニー・グリフィンが死んだ。80歳。パリの自室で、とあるから最近はパリで過ごしていたのだろう。「うーん」とうめき声をもらしたジャズファンも少なくないと思う。小柄な体躯でソウル炸裂のスピーディなプレイを聞かせる、やたらとバカ笑いをする騒がしいおじさん。イーストウッドが製作に名前を連ねている、セロニアス・モンクを追ったドキュメンタリー『ストレート・ノー・チェイサー』にもちらっと彼が出てくる。電車の中でモンクのとなりに座ってガハハと笑い、スタジオでサックス持ってはガハハと笑う。20年くらい前、ニューヨークのブルーノートでグリフィンのライブを見たおにぎりさんが、「ラバーマンが好きです」と話しかけたら、やっぱり「ガハハ」と笑っていたらしい。

俺はチャーリー・パーカーよりコルトレーンよりジョニー・グリフィンが好きだった。いちばん好きなサックス奏者だった。それは彼の音楽が、言ってしまえばプログラム・ピクチャーだったからだ。いなせなシカゴ・ギャングの世界だったからだ。ジョニー・グリフィンはジャズは小難しく気取った音楽、というつまらない固定観念を、そのスピードと色気とユーモアで軽快に蹴散らしてくれた。

ジャズを聴きはじめたとき、最初に買ったアルバムの中に『ザ・ケリー・ダンサーズ』があった。1962年のアルバムだ。高田馬場のレコファンの二階で買ったと記憶している。当時は後藤雅洋の入門書がアルバム選びの指標だったから、たぶん氏の紹介文を見て興味をもったのだと思う。林の中に椅子を置きマドラスっぽいポーズをとるグリフィン。そのジャケットのダサさに失笑したが、家でかけた@ザ・ケリーダンサーズに驚いた。いきなりバグパイプが聞こえてきたからだ。もちろんそう似せているだけで、サックス、ピアノ、ベース、ドラムのカルテットなんだが、まるでスコットランドの民謡でも始まったみたいだった(実際はアイルランド民謡だった)。それまでコルトレーンとマイルスとモンクしか知らなかった俺は、ジャズには遊び心と、あらゆる出自の音楽を受け入れる寛容さがあるということに、初めて気づかされた。

ジョニー・グリフィンの特色の一つに凄まじいスピードが挙げられるが、このアルバムではスピードよりもいやらしい緩急、そのしなりから生ずる黒い艶が前面に押し出されていた。A「ブラック・イズ・ザ・カラー・オブ・マイ・トゥルー・ラブズ・ヘアー」で引き込まれ、耳になじんだBザ・ロンドンデリー・エア(ダニー・ボーイ)で素朴さと優しさに丸め込まれ、Fハッシャバイのカッコよさに痺れ尽くした。ハッシャバイはその後しばらく特別な曲になった。バリー・ハリスの切迫したスリリングなピアノで幕を明け、グリフィンのダンディで深い音色のサックスが濃厚なテーマを奏で始めると、見たこともない50年代シカゴの裏通りが脳裡に像を結んだ。銃弾とメロドラマと慟哭の果てに死の安らぎが見出される曲だった。それは街に生き、悪事に手を染めて、ゴミクズのように殺されていく男たちへの、思いの丈がこめられた挽歌だった。いつだったか、思いあまって「オレの葬式にはこれを流してくれ」と家人に言伝をした恥ずかしすぎる記憶がある。

その後、手あたり次第彼のアルバムを集めた。アドリブに「わからない」個所が一つもないと、当時そう思った。どんなにディープな演奏をやっても、深刻趣味に陥ることがなかった。『ザ・コングリゲーション』や『ドゥ・ナッシング・ティル・ユー・ヒア・フロム・ミー』の驚くほどの軽さは、肩の凝らない、気持のよいB級映画のそれである。だからちっとも飽きなかったし、畏まって音に臨む必要がなかった。

モンクとの競演が、割り切れない不可思議な世界を醸成する『ミステリオーソ』&『イン・アクション』、ウェス・モンゴメリーとの陽気に見えてその実緻密なかけ合いが分厚い手ごたえを生む『フルハウス』、若きコルトレーン、ハンク・モブレーと腕を競い合う(そして圧勝に終わる)『ブローイング・セッション』、ムードたっぷりで線の細いシャウトが存分に味わえる名演「ラバーマン」が収録された『イントロデューシング』、もし最高傑作というものがあるとしたら、俺はこれじゃないかと思うのが『ナイト・レディ』、グリフィンのバカ笑いが全編に聞こえる『スタジオ・ジャズ・パーティ』、ロック版「枯葉」が爆笑を誘う『リターン・オブ・グリフィン』……好きなアルバムは列挙するときりがない。

エディ・ロックジョー・ディビスとの共演盤もいくつかある。強烈なエネルギーにあふれていてたまに聴くが、やはり濃すぎる。噎せそうになってしまう。濃いと言えばバド・パウエルがパリに滞在していた頃の録音に『Bud in Paris』というのがある(似たようなタイトルのアルバムが多いので付記しておくとザナドゥだ)。この冒頭でパウエルとグリフィンがデュオをやっている。これくらい濃い組み合わせも珍しいが、この「アイダホ」と「パーディド」はすばらしい。録音状態はひどいが、どんなにスピードを上げても決して楽器に”振り回される”ことのないテクニックの確かさ、強さ、そして胸を甘く締め付けるメロディの妙味といった、グリフィンのエッセンスがよくわかる逸品だ。

ジョニー・グリフィンの音楽は、古臭いジャズファンだけに持て囃されて終わるものでは断じてない。特に『ザ・ケリー・ダンサーズ』は幅広い音楽ファンに喜ばれるポピュラリティを有している。半世紀近く昔のアルバムだが、モダンで、ユーモラスで、スウィート&メロウで、時に恐ろしくシャープ。聴きどころ満載の一枚だ。ジャズファンというのは例外なくおせっかいで、やたらと人にアルバムを押しつけたがるのだが、このアルバムに関してはその押し付けを幸運と受け止めて良いと思う。

80歳の大往生だから、ガハハとバカ笑いで送りだしたいものだ。そして小声でハッシャバイ(おやすみ)と呟くのである。
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posted by minato at 00:00| 東京 🌁| Comment(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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