2009年01月05日

「薔薇の館」遠藤周作著

「薔薇の館」。遠藤周作による三幕八場の戯曲。69年に劇団「雲」が上演したらしい。

昭和18年から20年にかけての軽井沢。かつて薔薇の花で彩られていた瀟洒な教会を舞台に、戦争という事態に直面した修道士や信者、教会に集う人々の苦悩が描かれる。戦時中、敵国からの外国人宣教師は追放、あるいは抑留され、教会は監視下に置かれ、信者の若者は次々と戦地へ送られた。その間、ローマ法王をはじめとする”教会”は事態を手をこまねいて見ていただけじゃないか、という断罪の姿勢が根幹にある。

戦時中の教会の姿勢に対する断罪、というテーマは、82年に発表された「女の一生 第二部サチ子の場合」とまったく同じ。「女の一生」の原型のような戯曲ということだろうか。また、「なにもかもしくじった」哀れな目をした男、というイエス像は「死海のほとり」のそれ。遠藤周作の小説をたいして読んでいないけれど、かなりの確率でこうしたテーマやイエス像にぶつかるので、これが氏の作家としての重要な課題だったのだろう。

次から次へと人物たちを追いつめるドラマツルギーの巧みさが、少々鼻につかないわけではないけれど(特に玉音放送とウッサンの自死との絶妙にずれたタイミングなど)、さすがにぐいぐいと引き込まれた。特に「おおお」と思ったのが、勢子という女性が口にする「神さまなんて人間の創りだしたもので、実は存在しなかったら、基督の生涯なんて、何て喜劇だったのでしょう。ありもしないもののために十字架で死ぬなんて喜劇ですものね」という台詞。いやホント、もしそうだとしたらベルナノスの小説もイワン・カラマーゾフの苦悩もすべて無駄ということになる。でもそのきわきわな感じが、宗教を扱う文学の尽きせぬ魅力だったりするわけだ。また、こうした認識をあえて導入することで、宗教というテーマの相対化を図り、関心のない読み手への間口を広げる効果にもなり得ているわけである。

作中、教会にかくまわれる”アカ”の男が登場する。唯物論者の彼は最後に、「信ずるという意味が少しだけわかるかもしれない」と述べる。イエスというものが「なにもかもしくじった」、哀れな目をした男であれば、信仰の意味がわかるというのだ。とても美しく、ロマンティックな観念だなと思う。つまり個人的には共鳴できないということだが、そこには遠藤周作一流の詩情があり、そこに魅入られてしまう人の気持ちも決してわからなくはない。「田舎司祭」の主人公だってそのようなものだから。

誰よりも小さいこと、誰よりも低いこと、誰よりも無力であること、誰よりも惨めであること。現実的にはマイナスでしかないような要素をかき集めた集大成がイエスであるとする発想は、キリスト教全般に満ちる「逆説」のイデーにかなっているという気はする。現実的に小さく、低く、無力で、惨めな者にとって、きわめて優しい救いの感覚をもたらすという気もする。しかし、彼は同時に「地に火を放つ」改革者でもあったはず。眼前の悲劇を前に項垂れるだけでなく、そいつを変えようとした活動家でもあったはずなのだ。そのあたり、修道士も信者も、あまりにもおとなしすぎる、あまりにも受苦の面ばかり強調されすぎているかな、という印象をもったのも事実でした。「だって受苦がテーマだもん」と言われたらそれまでですが。
posted by minato at 00:00| 東京 ☀| Comment(4) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
こんにちはー。
遠藤周作だし、やっぱりそうかよ、というのが、港さんの感想への感想でした(笑)。

ていうか遠藤周作本人はどうもヒーローには共感できないタイプ(笑)というか、それにメソメソしながら従う十二弟子の方に共感してたようで、卑近な例でいうと『アカギ』より『カイジ』に酔いしれるタイプなんだろうなー、と思ったら、ちょっとだけ彼に対する胃もたれがおさまった気がしますた。

しかし遡って、当のヒーローまでを徹底的に「弱くて小さき者」にしないと受け入れられない、というのは、やっぱり共感できないですお。
「彼も弱いけど弱いからこその共感を伴う弱者への愛があった→だから弱い自分たちも共感を持ちつつ救われる」とかいうのって、自己憐憫センチメンタリズムから一歩も出てない図式のような気がするんですが、港さんはどう思います(笑)?

「強くないし完全じゃないけど気性が激しかったりする人間ならではの受苦」っていうのも普通にあるような気がするんですが、そういえばあの人人間じゃないんでしたっけ(笑)。でも「(遠藤周作的)弱さ」と「(神である証の)完全性」って矛盾してないかなあ。

Posted by deco at 2009年05月24日 05:56
全部読んだわけではないので、遠藤周作的イエス像がどうかははっきり掴めていないのですが、

>「彼も弱いけど弱いからこその共感を伴う弱者への愛があった→だから弱い自分たちも共感を持ちつつ救われる」

という感じは確かにあるようです。

いや、「イエスの生涯」を最初読んだ時は凄いなと思って。あそこまで惨めで弱くてダメなイエスというのは初めて読んだので。ただ他の作品でも同じような調子なので、少しずつ疑念が芽生えてきて…。

イエスに許される存在(人間)が弱者であることは構わないし理にかなってるんですが、イエス自体はそこまで弱くないだろ、というのは率直に思いますよ。泣き虫先生じゃないんだから。

ただまあ、「日本人とキリスト教の関係」という具体的な主題を追求していった結果、情緒的な側面が強調された、柔らかくて女性的な、日本人に受け入れられやすいイエス像になってしまったのかなー、とは思います。それはマリア信仰が作り上げられたりするのと似たような現像だと思うんです。

どんなに完全性を求めても、おそらく誰もが「自分にとって都合のいいイエス」を作り上げてしまうというか。鏡のような存在というか。その人の願望だったり、理想だったり、その人が抱えている無意識の問題がいろんな形で仮託されてしまう存在というか。で、自分はそれでいいやと思ってるところはあります。そこからヒトは逃げられっこないですよ。イエスに多くを期待していないというか、救いを求めてない人間の強みであり、いい加減なところです。

遠藤周作の場合、どうしても引っかかってしまうのは、その姿を劇中に平然と出しちゃうところですよね。「沈黙」でもこの劇でも、わかりやすい形でイエスを登場させてしまう。その辺りが作家としての技巧のうまさであり、ご指摘の通りの違和感を産ませる原因だと思います。そんなこと言いつつ、遠藤周作が適当に書いた一節ですら自分は生めないと思っているんですが(笑)。まだまだ勉強ですね、自分は。
Posted by minato at 2009年05月24日 22:29
いやー、私は『イエスの生涯』と精々『海と毒薬』を読んでこの人合わないって思っただけなので、浅学の極みですお。

ただ、みなとさんおっさる通り、イエスが『鏡のような存在』であることは確かにそうだと思います。信仰自体がそういうもの、というようにも思うんですけど(笑)。

「完全性」というのはネタです(笑)。一応現代カトリック&プロテスタントにおいて三位一体という部分は絶対に外れない信仰の条件になっているので(笑)、「イエスは子であると同時に父でもあるわけだから、不完全ではいかん」という論理に基づいてる歴史があるわけですおね。キリスト者を名乗る遠藤周作がその辺とどう折り合いをつけているのかをつついてみただけです。
そのくらい「彼のイエス=おそらく彼の理想とする救済像」がきらいなわけでして(笑)、でもそういうイエス像がどうやら日本では一番受け入れられやすかったらしい、というあたりがまた、個人的に絶望感を感じちゃうわけです。

私はこの価値観と相容れることはなかなか難しいだなー、とか思って。


先人(単に先に生きただけ)を一歩も越えられないというのが謙遜ならいいなーと思うし、港さんは港さんの言葉を既に語ってると思いますお。論理ではなく感情を基盤としたものを語るのに優劣なんかないと私は思うです。
精々が、どこまで生の言葉で語れるかってところだと思うのですが、げんに『イサク』で裸になりまくりって皆さん誉めてらっさったじゃないですか〜!

Posted by deco at 2009年05月25日 21:54
>「イエスは子であると同時に父でもあるわけだから、不完全ではいかん」という論理に基づいてる歴史があるわけですおね。キリスト者を名乗る遠藤周作がその辺とどう折り合いをつけているのかをつついてみただけです。

あんま敬虔な信者じゃないんじゃないですかね。カトリック批判、教会批判は割と痛烈にやっています。「薔薇の館」にも、戦争という事態に対してだんまりを決め込んだローマ法王へのかなり手厳しい批判が出てきます。だから立場上カトリックではあるけれど、そんなに意味はないというか。そこはさすがに文学者というか。実生活も神聖さとは縁遠かったらしいですし。知り合いに、学生時代に彼からイタ電もらってた女の人とかいますよ(笑)。

>でもそういうイエス像がどうやら日本では一番受け入れられやすかったらしい、というあたりがまた、個人的に絶望感を感じちゃうわけです。

やっぱ技巧の凄さがあると思うんですよ。人のもっとも柔らかい部分を刺激し、信仰の快楽を教える技術……といったら何だか詐欺師みたいですが、彼なりのイエス像を宣べ伝えてゆくあのいやらしい作劇術。それに一神教に対する耐性が日本人にはできていないことも大きいかと。ただ、その「術」がどうしても透かし見えてしまうので、個人的にはちょっとウムム、といったところです。それに較べ、椎名麟三の武骨さ、不器用さ、馬鹿正直さよ……やっぱり私は椎名派ですわ。

いずれにせよ、(うわっ、つまんねえ作品!)と思うものにあたったとしても、こうしたテーマを扱う作家としては、日本の中では大きな存在であることは間違いないので、勉強させて頂きます、という感じです。謙虚ぶるわけではなく、素直なんです(笑)。

あ、イサクは平均するとそんなに褒められてないです。褒められなくてもいいので、少しでも引っかかりを覚えてくれればいいなとは思っています。「前例」を作っていくことが大事なんだなということがよくわかったので。
Posted by minato at 2009年05月26日 04:59
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。