2010年09月22日

佐藤泰志作品集と映画『海炭市叙景』

佐藤泰志作品集と映画『海炭市叙景』

つい先日、映画化された『海炭市叙景』(熊切和嘉監督)を、ひと足先に試写で見せて頂いた。脚色の技法に目を凝らしていたせいか、冷静に接したとは言い難い。しかし大変に良い映画だったと思う。見た直後は感想を述べづらいが、数日経つと、映画の登場人物たちのちょっとした表情や、仕草や、背中や、匂いや、生活空間の光や、街の光景が、ふっと脳裏に蘇って来る。函館をモデルとした海炭市で、あんな男が生きている、ああいう女が生きている、そんなことをしみじみ思わせる。それは、映画が何かに勝利しているということだ。こんな映画がこの時代に生まれて良かった。

プロ/アマ混合だという出演陣のリアルな存在感。大きな出来事も事件も起きず、人間の置かれた状況と、そこでの日常的な行動のみを綴る、原作通りの世界。ここでいわゆる「ふつうの人」を黙々と演じ切った俳優たち、そのすべてがすばらしい。いわゆるお芝居の技量ではなく、その人の人生そのものが問われるような独特の映画世界で、ここに現われ出た人たちは、みな、人としての強い魅力を持っていると思った。贔屓するわけじゃないけれど、三浦誠己さん扮する孤独な青年のたたずまい。ひときわ印象的でした。

さて、このところ時間を見ては原作者・佐藤泰志の作品集をだらだらと読み耽ってきたわけですが、改めて出会えてよかったと思う日々なのだった。心の隙間を埋めてくれる何かがあった。映画の試写を見た翌日、すなわち昨日だが、重いハードカバーの作品集を手に、江ノ島に向かった。まったく休みのとれなかった今年の夏を、遅ればせながら終わらせたかったし、人は盛夏を楽しむべきだという、佐藤泰志作品世界からの静かな叱責を聞いた気がしたからである。

作品集に収録されたものがすべてではないが、それでも断言できるのは、氏の作品はみずみずしい青春小説であるということだ。観念をもてあそぶ青臭さや、疎ましい自意識がない。よく冷えた透明な水がさらさらとページに流れ続けている。その清澄さは簡潔で明晰な文体によるものだ。女と恋に落ちても、人が殴られて血が噴き出しても、頭がおかしくなった肉親がいても、文体は平静であり続ける。その小説としての静かな在り方に、優しい魅力がある。また、生活者として生きることに誇りを抱き、詩人や作家として世界を見つめることに恥らいの意識を抱いているところがある。そこに自分は深く共感する。

彼の小説に登場する青年は、夏となればビール片手に海やプールに繰り出し、出会ったばかりの女の子と簡単に関係を結んでしまう。激しさや、高ぶりや、怒りは、表立っては出てこない。その軽やかな青春模様は、『風の歌を聴け』を想起させる部分があるけれど、村上春樹との決定的な違いは、解説・福間健二さんの秀逸過ぎる解説の一文によって恐ろしく的確に言い表されている。

「しかし、佐藤泰志の表現は、中上健次のような、神話的な時空への展開をもたないし、また、村上春樹のような、ニュートラルな身ぎれいさにむかうこともない。ひとくちにいえば、等身大の人物が普通に生きている場所に踏みとどまっている。虚構への飛躍度が低いのだ」

彼の小説を包む美しさ、読んでいる時間の安らぎは、そんなところからきているのだと思う。絵空事を描かない、地に足のついた世界を描く、という姿勢は終始一貫している。

以下、簡単ながら佐藤泰志作品集(クレイン)に収録された小説についての雑感を記す。詩とエッセイについては、特に理由はないが、触れていない。

作品集の三分の一を占める『海炭市叙景』については下記に書いたので、ここでは割愛する。

http://takehikominato.seesaa.net/article/161877403.html

『移動動物園』は、いつの日か移動動物園を作って全国を巡回しようと夢見る園長のおじさんの下で働く若者の物語。これは良かった。園長の恋人である若い女との、三角関係とまでも言えない淡い関係性(まるで映画『汚れた血』のような)が、少しずつ変容していく。しかし決定的な変化が訪れるわけではない、そのバランス加減がいい。ささやかなエピソードの積み重ねで彼らのモラトリアムな日々を綴るが、構成も明快で、その日暮らしの青年の心理も繊細に描かれている。主人公の達夫と女が、園長に命じられて、大きくなりすぎたウサギや皮膚病のモルモットを殺す描写が痛々しい。痛みには理由がある。女は園長の子を孕んでいるのだ。充実した読後感があった。

『きみの鳥はうたえる』。バイト先で知り合った同世代(21歳)の男と暮らす主人公。彼は勤め先の女とねんごろになるが、彼女と同居人の彼との間で、淡い三角関係が起動する。働いて、飲んで、遊んで、喧嘩して……70年代の東京郊外を舞台にした作品で、ミンガスの死から物語は始まるが、現在の小説と言われても納得してしまうような、淡くて透明な感覚が横溢している。終盤の展開がやや悲劇的に過ぎるきらいもあるけれど、とにかく読んでいて気持ちが良かった。

『黄金の服』。大学の生協で働く作家志望の青年と、その友人や女性たちを描いた作品。酒飲んで、あとはプールや海で泳いでいるだけの夏休み。血なまぐさい事件や人の暗部の露出、意外な結末など、多少「虚構」に寄りすぎたきらいもあるけれど、カミュ『異邦人』における海の描写みたいな自由さ、幸福感が最後まで続く。作中、イメージフォーラムやヒューバート・セルビーJrの『ブルックリン最終出口』なんかが自然な形で登場し、80年代初頭のマイナーな若者文化がどのようなものであったかを窺わせる。アパートの大家が飼っている死にかけの犬や、静岡の海岸で主人公たちが拾う蟹など、細かな配置、描写が生きている。それからセックス。この作家の性描写は、肩肘張ったところがなく、さらさらしていてなじみやすい。

『鬼ガ島』。子持ちの女と別れ、養護学校の教師をしている女と暮らし始めた主人公。しかしその女は過去に実兄との関係があり、そのことで今なお苦しんでいる。次の『そこのみにて光輝く』もそうだが、どことなく小説空間に歪みが出始めた印象。その歪みが、あまり愉快な形で気持ちの中に入ってこなかった。もっと正直に言えば、微かな嫌悪のようなものを感じてしまった。露悪的と言い換えてもいい何かがある。近親相姦も障害者の性欲処理についての話も、それほどしっくり小説世界になじんでいない気がする。かといって、悪意を感じるわけではないし、無理をして偽悪的なふるまいを装った痕跡もないけれど、いやな感じがどうしても拭えなかった。もしかすると生々しすぎるのかもしれない。

『そこのみにて光輝く』は、函館の海岸で高山植物を売って暮らす男と出会った主人公が、男の姉と恋愛関係を結ぶ話。被差別部落の問題が絡んでおり、男の家庭では寝たきりになっても性欲の尽きぬ老父が、妻や娘にその処理を委ねるといった描写が出てくる。一方では達夫の組合活動への無関心・決別、そしてささやかな自立という厄介なモチーフも抱え込んでいる。虚無的な青年が海に戯れ、女と恋に落ちるあたり、例によって『異邦人』のような透明な情緒があって読ませる。ただ、被差別の家庭の描写がどことなく図式的に感じられた。三島賞の候補だったようだが、中上健次の強い反対によって頓挫したという。

『大きなハードルと小さなハードル』と『納屋のように広い心』は、秀雄という人物を主人公にした、私小説のシリーズらしい。妻と子と河原で遊ぶ秀雄は、アル中の症状でちょっとした事件を起こしたばかり。妻とのぎこちない会話の果てに、娘がとらえたザリガニがつつましい救済の光景を現出する。続く『納屋のように広い心』は、家を突然出て行った妻と娘を追った秀雄が、海峡を隔てた街で二人を探り当て、一軒のホテルに泊まる話。安宿のはずが、手違いから妖しげなラブホテルの一室に一家は宿泊する。その可笑しさが、一家を闇から救い出すのである。鬱屈を抱えた人間が、心の旅の果てに他者によってちいさな救いを見いだす、という物語の型は、梶井基次郎やつげ義春にも共通する。というか、これって日本の近代小説に数え切れないほどある類型なのかもしれない。簡潔で読ませる二作品だが、型通りという物足りなさも残った。

『星と蜜』は同級生の結婚のために帰郷した男の三日間を描いている。これは良かった。八年ぶりに帰郷するという後ろめたさ、自分が不在の間に様相の変わってしまった人間関係への戸惑い。ストレンジャー同士の女との突発的な、だが、妙に説得力の漂うセックス。話の展開に無理がなく、筆致は落ち着き払っていて、青年と大人とのはざまに立たされた男の弱った心理がしっかり感じられる。古ぼけた映画館や海の家、射的場、母が勤める旅館といった舞台も効果的。それにしても佐藤泰志の小説は、実に海辺の小説であり、北の国の夏の物語であるなあ、と嘆息。北海道を舞台にしたものは、冷たい夏の空気がどこまでも漲っていて、単純に心地良い。北の人間だから、盛夏というものの価値が高いのだろうか。作品集の中でもかなり好きな作品。

『虹』は遺稿となった作品らしい。奥まった村の資料館に務める25歳の青年。彼はたいくつな村をひそかに出て行く決心を固めているが、ある女との出会いによって考えを変える。その一日を描いているが、話の展開がいささか性急に過ぎる気もするし、文字通り「虹」が現出するラストは、感動的ながらも、どことなく収まりが良すぎる。しかし、描かれる人間心理に無理がないため、太い虹がかかったとき、自然にその希望の風景を受け入れることが出来た。

偉そうなことを色々書いたけれど、やっぱりこの作家の小説は居心地が良い。『海炭市叙景』以外で、特に好きだった作品は『移動動物園』『黄金の服』『星と蜜』の三本でした。でも他の作品もみんな良かった。一見地味だし、個性的な文章にも見えないため、簡単に書けそうに思われるかもしれないが、この透明感を可能にしているのは「才能」と呼ぶほかない何かであると思う。

かつて中上健次が誰かとの対談で、三島由紀夫の『仮面の告白』に流れている「きらきらしたもの」、あれが才能だと喝破したことがある。その「きらきらしたもの」を持ち合わせていた作家だったんじゃないかという気がしました。いずれにせよ、映画がなければ出会うことのなかった作家である。映画『海炭市叙景』は是非成功してほしいと思う。

http://www.amazon.co.jp/%E4%BD%90%E8%97%A4%E6%B3%B0%E5%BF%97%E4%BD%9C%E5%93%81%E9%9B%86-%E4%BD%90%E8%97%A4-%E6%B3%B0%E5%BF%97/dp/490668128X/ref=sr_1_1?s=gateway&ie=UTF8&qid=1285188954&sr=8-1
佐藤泰志作品集
posted by minato at 00:00| 東京 🌁| Comment(4) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
なんだかとても嬉しくて
おもわず書き込みです

実行委員として、映画「海炭市叙景」に携わることが出来ました

そのことで
私も佐藤泰志の作品を読むことができました

読んだ感想や小説自体をどう表現してよいのか

なかなかなかなか
わからなかったのですが

こちらを読ませていただきスッキリです

ありがとうございます


描写のリアルさは
想像力を全開させてくれるのですが

身近な情景が浮かび
虚構がない

普通に誰しもが抱えうる
人間の情けない部分
心のヤミの部分
悲しいくらいの恥

佐藤泰志は
正直者でひねくれ者だったんだろうな〜なんて

でも
だから
身近に感じるのかもしれません

映画「海炭市叙景」は
佐藤泰志の作品をそのままの姿で表した
小説のような映画だと感じました

また
作品集
読み返したくなりました

ありがとうございます!
Posted by hacodatejin at 2010年09月23日 11:57
コメントありがとうございます。

映画がなければ出会うこともなかった作品集ですが、本当に出会えてよかったと思える作家でした。自分もうまく感想を言えませんが、物語の展開で読み手を引っ張るのではなく、文体そのものによって、人の心にすっと入って来る感覚は、まるで詩のようだと思いました。

>映画「海炭市叙景」は
>佐藤泰志の作品をそのままの姿で表した
>小説のような映画だと感じました

本当にそうですね。
恐らく実行委員の方々はご苦労が多かったと思うのですが、物作りに対する姿勢が、僭越ながら、とても立派だと感じました。

公開後の反響が楽しみですね。
こちらこそありがとうございました。
Posted by minato at 2010年09月23日 15:06
 始めまして。「海炭市叙景」に地元実行委員として関わったアラタメと申します。

 ブログ、ツイッター、拝見しました。
 うれしいです。

 私は映画化を機に、佐藤泰志の小説に魅せられました。現在、札幌で公開に向けて、1人でも多くの方にみていただく活動に励んでおります。

 そこでお願いです。

 港岳彦さんの感想抜粋を、シアターキノ(札幌のミニシアターです)のPRとしてご紹介させていただけないでしょうか。職業、お名前と一緒に、一般の方々にその熱い思いを伝えたいのです。キノの中島代表も活動のメンバーです。

 面識もなく、失礼かとも思いましたが、映画への思いを共有できる方にご協力いただきたく、お願いしてみました。

 返事はメールにお願いします。

 どうぞよろしくお願いいたします。
Posted by アラタメ at 2010年09月23日 21:55
はじめまして。
先ほど、メールさせて頂きました。
Posted by minato at 2010年09月24日 00:04
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