2010年12月21日

本日夜、ポレポレ東中野で井土紀州監督と『ピラニア』トークです&『私のマルクス』(佐藤優著)がべらぼうに面白かった件

■『ピラニア』はポレポレ東中野21:00からの上映、井土紀州監督とのトークは上映後です。みなさまよろしければお越しくださいー。

http://www.mmjp.or.jp/pole2/

場所:ポレポレ東中野

■最近読んでめちゃくちゃ面白かったのは佐藤優『私のマルクス』。著者の同志社大学神学部時代を描いた青春期、というフォーマットではあるものの、彼の世界観を決定づけた「神学」に導かれてゆく過程を丹念に描いた作品。学生運動の体験を描いた青春の手記だが、神学入門、読書案内の顔もあり、信仰告白の書でもあり、日本人とキリスト教というテーマを、神学部の小さな世界で描いてもいて……とにかく自分にとってこれほど興味深く、美味しい作品もなかった。

■それにしても「私のマルクス」というタイトル、出版当時からものすごく気になっていた。言うまでもなくマルクスはあらゆる宗教・信仰と対立する。だが佐藤優は生まれながらのクリスチャン、しかも厳格で知られるカルヴィン派の家庭に生まれ育ち、その信仰はついに一度も揺らいだことがないという。では、そんな彼がなぜマルクスに惹かれ、学生運動にのめり込んだか。そして重要な問いとして、マルクスとイエス・キリストを繋ぐ回路はあるのだろうか。佐藤優は青春を生きる場所・神学部で両者の仲介者となる。彼がその可能性を探るために使うのが、アナロジーだ。それってイエスの「たとえ話」であったり、神は自分の似姿として人間を作ったとする、キリスト教的発想に深く繋がってるんじゃないのかな。その辺、具体的に突っ込んでいきたいが、時間がないので割愛する。

■マルクス主義の視点から聖書/宗教を読み解く、あるいは聖書を援用、恣意的に使用した論考は多いはずだけど、本書は信仰の側からマルクス主義を読み解くという側面がある。もちろん、側面があるというだけであって、本格的な論考ではない。そんなものならば俺なんかお手上げだ。結果的に自分に伝わったのは、神学という「虚学」がとてつもないスケールを持つ魅力的な学問であるということ。これはそのことを示唆する書物だということだ。

■この本で佐藤優の信仰の実相なんてものは見えてこない。信仰の論理、神学の論理だけが見える。というか、示唆される。でもそれで充分だ。彼は信仰を広める意図もたいしてないし、はなっから万人に理解されることを期待していない。それがあらかじめ救済される者は決まっている(選ばれない者もいる)、とされる「予定説」を生きる者の筋なのかもしれない。佐藤優は長々と本文をしたためた後、自分は一度もマルクス主義者になったことはない、と告げて作品を終わらせるのであった。
posted by minato at 09:19| 東京 ☀| Comment(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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