2011年01月11日

『相棒―劇場版U−』(和泉聖治監督)

■『相棒U』はれっきとした三角マークの映画だった。細部に仕掛けられた謎とその解決といった『相棒』フォーマットを踏襲しつつ、復讐、裏切り、殺人、自分なりのルールと正義を貫こうとする男たち・女たちの群像、そして何より、決して崩れぬ権力という牙城へ向け、ギラリと刃を煌めかせるラストシーンが、やくざ映画のそれだった。みぞおちに響く映画はいい映画、という持論を発動せざるを得なかった。

■第一作目はイラク人質事件に材をとり、マラソン大会と同時進行的に進む大規模な人質事件を描き、最後には直球勝負の「国民」批判をしてのけた。第二作は警視庁占拠事件という導入だが、『ダイ・ハード』のようなスリリングな活劇にはならず、「あの事件は何だったのか」を遡及的に探る物語となる。やがて浮かび上がるのは公安の闇であり、そして、事件を利用しようとする腹黒い警察幹部たちの権謀術数であり、「正義」をめぐる男たちの暗闘だった。

■ある登場人物が言う。「まさか世の中に絶対的な正義があるとでも思ってる?」。人々はそれぞれの立場や思想や哲学や倫理に依る「それぞれの正義」を貫くしかなく、その結果、意を異にする者との衝突が起こり、ある者は勝利し、ある者は敗北する。正義を素朴に信奉する者がいれば、不正義を行っていることを自覚しながら、より大きな正義のために不正義を行う者がいる。そこにはあらゆる「悲劇の種」が埋まっている。悲劇を生み出すシステムはわれわれが生きる日常のあちこちに転がっており、多かれ少なかれ、われわれは複雑に絡まり合った種々の思惑から逃れられない。『相棒U』はさまざまな経路を迂回しながらその普遍的な議論に辿り着く。ただし、この映画が警察上層部の「正義」を主体としていることで、問題は巨視的=神々の視点を帯びてゆく。『総長賭博』を三島由紀夫が「ギリシャ悲劇のようだ」と評したことと同じような重厚さを醸しだす。

■TVシリーズならば、もう少し精巧で抑制のきいた作りとなったやもしれぬこの題材は、随所で乱暴な展開を見せる。ある人物がこの物語で退場を強いられるのはあまりにも惜しい。それでもなおぐっと胸に迫るものを残すのは、『相棒』シリーズが長い時間をかけて築き上げてきた官僚批判、あるいは組織と個との相克という得意分野をようやくスクリーンで見せてくれたという感慨によるものだし、その味わいが先述したようにある種のやくざ映画のそれだったからだ。のみならず、冒頭のラムネと神戸の意味ありげなシャワーシーンや、「それって陣川君の兄弟じゃ…」と言いたくなるキャストの楽屋オチ、ところどころに仕込まれた細かな笑い、精巧さよりもケレンに賭けた作劇等々、久々に「これぞ三角マークのシャシンや」と呟きたくなる映画だった。

■小西真奈美がすばらしい。女優の見せ方について一家言ある監督の撮り方だった。
posted by minato at 00:00| 東京 ☁| Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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