2011年06月20日

告別式

■橋本先生の告別式に参列してきた。葬儀場は小田急線沿線の黒川という平和な雰囲気の街にあった。訃報に接して以来、映画学校の頃のことが思い出されてならなかった。世界各地を放浪した経験から「二十代はまったく後悔していない」という先生の言葉に打たれたことや(自分には絶対言えない台詞だと思ったし、実際そうなった)、終電を逃して百合丘の自分のアパートに泊まってもらった夜の他愛ないお喋り、ドキュメンタリー実習でのつぶさな指導、自分の撮影の腕を高く買って下さったことが長い間ひそかな自慢だったこと、一年の夏休み前に、若いうちに読むべき本を何十冊も書いた紙をプリントして生徒に配ったこと……。また、先生は自分が同居していたマナベさんのことを誰よりも気にかけていた。先生と話しているとよくマナベさんの話になって、自分は少しマナベさんに嫉妬したりもしたのだ。

■上京したばかりの田舎者の自分にとって、親しみやすく、接しやすく、優しい先生だった。故人のことは悪く書かない、という慣習に従っているわけではない。実際にそういう方だった。また、先生は誰よりも世の中を楽しんでいるように見えた。生徒間でトラブルや面倒な事態が起きると妙に嬉しそうだった。それは「人間好き」ということである。うちの師匠もそうだが、人間好きの先生があの学校は多かった。それがこういう業界で生きる大人のあり方なのだと、後々自分は思い知った。

■最後にお会いしたのは、『ヘクトパスカル』のチラシを学校に置きに行った時だったような気がする。地下一階のトイレで偶然隣り合わせた。連れションしながら「すみません、まだ先生の映画(『1000年の山古志』)見てなくて…」というと、あの優しい笑顔で「見てよ〜」と緩やかに言って去ったのだった。

■告別式を終えて、来ていた同期やことし卒業した元橋本ゼミの子らと、新百合ケ丘の夢庵に行った。学生時代、アホみたいに通った和風居酒屋だ。あの頃よく注文していた天丼を食べた。家に帰り、いっしょに天丼を食べた子から「今も仲良くみんなが会えるのは信ちゃんのおかげでもあるんだね」とメールがあって、なんだか泣けた。これまでそんな風に考えたことはなかったけれど、確かにその通りだった。

■深い感謝と共に、橋本先生のご冥福をお祈りいたします。
posted by minato at 23:00| 東京 ☀| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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