2011年12月01日

『大津波のあとに』(森元修一監督)『槌音』(大久保愉伊監督)『ふたつのウーテル』(田崎恵美監督)『わたしたちがうたうとき』(木村有理子監督)

■本日発売の月刊シナリオ1月号、桂千穂さんの「映画館へ行こう」のコーナーで、座談会の末席を汚しております。『恋の罪』や『一命』などについて無責任に喋っておりますので、よろしければどうぞ。

■渋谷のアップリンクで明日まで上映している『大津波のあとに』(森元修一監督)と『槌音』(大久保愉伊監督)を見た。とてもよかった。現在、「3.11」という言葉は、どちらかといえば原発問題を意味する場合が多い気がするけれど、この二作品は徹頭徹尾大津波による被災に焦点を絞っている。

■特に『大津波のあとに』は良かった。大津波という圧倒的な現実、大いなる事実を前にしたときの、撮影者の畏怖や被写体となる現地の方々への敬意が、意図的でなく無意識のうちににじみ出ていた。「ドキュメンタリーとは」「ジャーナリズムとは」といった議論をなきものとして制作、否、「記録」されている。作為や自意識の滅却が自然と行われている、と言い換えてもいい。作為を作為と見せない操作が行われているとしても、その滅却のありかたに深く頷かされた。

■森元監督はアフタートークで「セルフドキュメンタリーにはしたくなかった」と仰っていたが、自己言及する余裕などない状況だっただろうし、「自分」を捨てることが、外部から被災地へ降り立った者の最低限の礼儀であり、節度なのだと思う。大きな現実を前にして露呈される「自己愛」ほど見苦しいものはない。ワンカット、監督自身を鏡越しに捉えるショットが挿入されているが、個人的にはあってもなくても作品総体の印象は変わらないと思った。今後もどこかで上映の機会はあるような気がするので、その際はぜひご覧になってみて下さい。

http://fartheron.soragoto.net/
『大津波のあとに』『槌音』公式サイト


■昨日は渋谷でやっている「NO NAME FILMS」をワケあって見に行き、若い監督たちによる多くの短編を見た。中でも『ふたつのウーテル』(田崎恵美監督)と『わたしたちがうたうとき』(木村有理子監督)はとても良かった。

■テクノロジーの進歩によって誰でも映画が撮れる時代となり、ある程度の「見栄えがする画面」を構築することが可能になった。前にも書いた気がするけど、それはとても残酷な時代になったということだ。結局のところ作家が人間をどう捉え、どう描くかという、非常にアナクロな(だが根本的な)”才能”について、誤魔化しがきかなくなっかたからだ。上記の二人の監督はその意味での根本的な才能が光っていた。その「光」が、長じて「映画」の技術に貢献する。逆ではないんだということを再確認させられる作品だった。
posted by minato at 20:32| 東京 ☁| Comment(1) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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Posted by 阪神ジュベナイルフィリーズ at 2011年12月05日 05:09
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