2012年07月25日

『苦役列車』(山下敦弘監督)

最高だった。何度も泣いた。泣く理由なんてお前らにわかんなくていいよ、と思うけど、「どうしようもない私」を抱えて地の底を這うような暮らしを送る君ならきっとわかってくれると思う。

自分の20代前半のきつい時期が、そのまま描かれていた。だれがどう言おうが関係ない、これが青春映画というものだ。主人公・貫多の疎外感。彼は「普通」ということがわからない。「世間一般」とか「社会通念」というものが、どうしても、どうあがいてもわからない。さびしさを剥き出しにして他者と接することしかできない。だから少しでも優しくされると、甘えてしまう。心の底から「ありがとう」って言えてしまう。「普通」と思える青春をほんの束の間味あわせてくれたことに対して、ずっとずっとその嬉しさを後生大事に抱き続けてしまう。たとえそれが他人には痛ましく映ったとしても。

友達や女の子と海にいくなんて、ボウリングをするなんて、彼のような人間にはありえないことだったんだよ。そしてやっぱりそんな「普通」は長続きしないんだよ。だから書くんだよ。貧しい部屋で、上半身裸で、エンピツを使ってカリカリと机に向かう行為が、どれほど彼の救いになっていることか。どれほど生きていることの慰めになってくれていることか。ちくしょう、ちくしょう、ちくしょうって思いながら、でも書くという行為に生の実存を感じて、恍惚として、生きている、と思いながら書く背中。監督はそこをきっちり美しく舐めるように撮っていた。すばらしいと思った。

西村賢太原作、いまおかしんじ脚本という、それ以外ありえないような組み合わせに、山下敦弘監督で三位一体が完成している映画『苦役列車』。森山未来が超絶すばらしすぎる。前田敦子が叫びたくなるほど可愛らしすぎる。高良健吾も「普通」の好青年役を好演しすぎる。そして画面に映るそれ以外のキャストの方々が、私的な映画史に響いていちいちツボった。

いまおかさんが監督をした『イサク』によって、なんとかこの業界に再度足を踏み入れることのできた自分は、すなわち『イサク』が二十代のあの鬱屈から解放されるきっかけとなった自分のような者には、決して冷静に見ることのできない映画だった。涙なしに見られなかった。映画館を出てすぐに定食屋で大盛りのめしをかっ食らった。
posted by minato at 00:00| 東京 ☔| Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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