2010年04月12日

『第9地区』(ニール・ブロムカンブ監督)

見たよ。

ヨハネスブルクに巨大な宇宙船が現われ、乗っていた大勢のエイリアンが救助される。「エビ」と蔑まれるエイリアンは居住区を作り、果てしなくその数を膨れ上がらせ、色々と問題を起こす厄介な存在に。特殊機関によって、彼らを別の居住区に移動させる計画が始動するのだが……みたいなお話。

とりあえずエビの好物が猫缶なのよ!

猫好きの間で言うところの、フカフカなのよ!

……もうそれで十分です。

「猫缶」って字幕が出るたびいちいち笑けてきた。シリアスな音楽が始終鳴ってるから、階級差別や外国人排斥の問題と重ね合わせてるのかと身構えたけど、いや、実際そういう目くばせもしっかりしてあるのかもしれないけど、俺には全編ブラックコメディにしか見えなかったよ……。

主人公の男の妻が、夫は「エイリアン女におぼれてる」と勘違いしてすすり泣いたりするんだけど、あんなプレデターにどう考えたって溺れないだろ! と内心で突っ込んだり。楽しかったです。

他にもいろいろなネタがてんこもりで、後半のアクションシーンなんて、作り手が童心にかえって作り込んでる感じがして、良かった。

ただ、自分にはこういうSFアクションを心底楽しむ感性がない。その筋の人にはぐっとくる場面やショットが盛りだくさんなんじゃないでしょうか。

それにしても、エビの好物が猫缶……ぜったい適当に考えただろ!
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2010年04月08日

『ハート・ロッカー』(キャサリン・ビグロー監督)

遅ればせながら見た。

ウーン。

何かこう……言うべきことが何も思いつかない映画だった。

日本でもこの映画をめぐり様々な論争があったらしいことも知ってるけど、ことさらその議論を知りたいとも思わなかった。

ある場面で主人公が言う。

「俺は何も考えていない」

このセリフにあらゆることが集約されているし、作り手はそこにすべてを集約させていると思う。それを悲劇とみるか、怒りを覚えるか、憐れみを感じるか……どうとでも取れるような仕組みになっている。イラク戦争以降のバグダッドを舞台にして「戦争は麻薬だ」という主題を描く上で、このようにしか作れなかった、というのが本当のところじゃないのか。

ずいぶん冷めた感想しか持ちえなかったけど、なんかこう、感情が揺さぶられなかったというのが率直なところ。ドキュメンタリーで見たほうがまだしも心を打ったような気がする。

なんだろうなあ、自分の中にある、この他人ごとのような感覚は。優等生ぶってんじゃねえよ、という軽い反発があるのはどうしてだろ。

でも近過去の戦争映画、サスペンス映画をいろいろと思いだして、なんだかそれらの監督たちに敬意を表したくはなった。

リドリー&トニー・スコットは偉大だ!
ポール・グリーングラスは偉大だ!
スピルバーグは天才だ!

とか。

ジョン・フリンもジョン・アーヴィンも偉大。

見ていて、そんな気がしました、なんとなくだけど。

あ、けどジェレミー・レナーはいい役者だなぁと思った。
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2010年03月10日

『リトル・チルドレン』(トッド・フィールド監督)

『リトル・チルドレン』(トッド・フィールド監督)

おもろかったなぁ。

この監督の『イン・ザ・ベッドルーム』って映画が、よーくできてることは重々承知しつつも、なんだかとても気に入らなくて、本作も敬遠してたんですが、見て良かった。

幼児性愛者の前科者が越してきたことで、不穏な空気が満ちる町。そこに暮らす主婦のケイト・ウィンスレットと、法科を出て司法試験に挑んでいるパトリック・ウィルソンが不倫関係に陥るって話。

お互い子持ちなんだけど、公園やプールで、子どもを連れての逢瀬を重ね、ついには自宅のベッドで…。そうした関係に陥るふたりの心理描写が克明に描き込まれていて、よかった。アメリカ映画ってホントにうまいよなあ、その辺にいそうな人間の心をリアルに描出するのが。

その辺にいる人間の人生が、変わるかもしれないその一瞬。

そうした季節を巧みに切り取っていて、感じ入りました。

劇中の「ボヴァリー夫人」の使い方も良かった。ここではつまびらかにしないけど、あの議論に出てくる「謎の性描写」って、「チャタレイ夫人の恋人」にもあったような……。まあいいや。

それにしてもケイト・ウィンスレットって最高の女優ですな。もう、何やってもいい。何やっても魅力的に見せ切っちゃう。裸体も濡れ場もすっごく良かった。濡れ場って言い方もどうかと思うけど、セックスしてる場面だろうがなんだろうが、芝居は芝居なんだから、って風に、ちゃんと作り込んできてるわけだよな。演技のステージが違うって気がするよ。尊敬します。

パトリック・ウィルソンの奥さんを演じるジェニファー・コネリーがきれいなんだよなぁ。ベージュのショーツに包まれたおしりの色っぽいこと! あとロリコン男を『ウォッチメン』のロールシャッハ(ジャッキー・アール・ヘイリー)がやってるんだけど、こいつが同情心のかけらも感じさせない、しょーもない男として描かれてるのが笑えてよかった。

小説っぽい作りだなあ、と思ったら小説あったのね。
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2010年03月07日

『マイ・ライフ、マイ・ファミリー』(タマラ・ジェンキンス監督)

『マイ・ライフ、マイ・ファミリー』(タマラ・ジェンキンス監督)

かつては子どもに暴力をふるっていた父親が、老いて認知症となる。大学でブレヒトについて教えている教授のフィリップ・シーモア・ホフマンと、派遣社員で劇作家を目指すローラ・リニーの兄妹は協力して父を受け入れてくれる介護施設を探し始める。お互いミドルエイジの兄妹は、それぞれ問題を抱えており――という人間ドラマ。

フィリップ・シーモア・ホフマンとローラ・リニーという芸達者が兄妹を演じている。もうそれだけで勝ち。芝居がうまい人って、ほんとに映画を“持たせる”よなぁ。的確かつセンスのあるしぐさ、表情の作り方、たたずまいに惚れ惚れする。演出もそれをよく理解しているらしく、喜怒哀楽の表現も、描写も、すべてが控え目。とっても品がいい。

階級や人種に関する描写がちらっと出てくる。それもやりすぎず、欺瞞にならず、程良い。極端な悪人も極端な善人も出てこない。ま、現実ってこうだよね、という諦念に近い感覚ですべてが作られているから、心地よく見られる。「普通の人々」が「普通の出来事」に直面する。それだけの映画。

繰り返すけど、見てて、心地よかった。シビアな現実を大人の処世術でこなす感じが。といっても、恋に対してはちっとも大人になりきれない感じが。人生は続くって感じが。良いと思います。
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2010年03月01日

『夜のゲーム』(チェ・ウィアン監督)

『夜のゲーム』(チェ・ウィアン監督)

最近はすっかり資料用のビデオばっか見てる感じで、新作もぜんぜんフォローできていないんですが、これはパッケージに惹かれて手に取った一作。好きだった。あえて「良かった」とは言うまい。好きだった。

宅地開発が進む郊外。
そこで時代から取り残されたみたいにたたずむ一軒の家。
三十路もなかばの、耳の聞こえない女(ハ・ヒキュン)は、介護が必要な父親とそこでひっそり暮らしている。

彼女は少女の頃、父親から殴られたせいで聴力をなくしている。クラシック音楽への夢があったのに、父親のせいでつぶされた。父親はDV男で、母のことをしょっちゅう殴っていた。それをおそれた女は、兄とともに浴室に身を潜めていた。兄は浴槽へ女を誘った。兄妹は浴槽の中で戯れた。そこへ、父が現れた。激昂し、兄と女を殴った。

父は兄を刑務所に送り、母を精神病棟へ送った。そして女を家に閉じ込めたのだ。

ひどい父親。最低の父親。なのに、彼女は父の世話をし続ける。

…俺なんか、もうそれだけで十分いい映画だって気がするんです。その設定だけで。そんな女の一日を淡々と綴るだけで十分、映画になるよ! と思うんです。

そしたら、ほんとに彼女の一日を淡々と綴るだけの簡潔な映画だった。

以上。

いや、いろいろ事件らしきものも起きるんだけど、特に派手な展開はないし、ヒロインを救いもしなければ、突き放すこともしていない。「これこれこういう女がいて、こんな暮らし送ってる」ってだけ。そこがいい。もう少し突っ込んで書くと、その一個人の暗い部分、彼女の「性」をきちんと描いてる点が、いいなと思うんですよ。ぜんぜんポルノグラフィな描き方でなくて、なんかもう、悲しくなる感じで。切なくなる感じで。

映画ってこれでいいじゃん! 声高にではなく、ちいさな声でそう言いたい。

多少の難はあるけど、好きです、この映画。
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2010年01月14日

『痴漢電車 夢指で尻めぐり』(加藤義一監督)『恋味うどん』(竹洞哲也監督)『団地妻 白昼の不倫』(サトウトシキ監督)

ことし最初の劇場は成人映画館だった。金欠なので当分、映画館に行く予定はない。してみると、自分が映画に対して何を求めているのか、はっきりしますわね。裸? それも大好きよ。でも、それも含めた、ピンク映画ならではの「何か」、それを学びに行ってるんだなあと、今日気付いた。


『痴漢電車 夢指で尻めぐり』(加藤義一監督)。

三本立てのうち唯一の新作。表情の作り方が堂に入っているかすみ果穂と、「恋味うどん」のエキストラでちらっと映ってる津田篤が主役。「白昼の不倫」の葉月蛍ことほたるさんも、ぐっと凄みを増した熟女として登場。主要人物四人のモノローグが連鎖的に繋がって劇を形成するという凝った作り。いつまでもぐるぐる回り続ける環状線からの脱却、いわば仏教的な世界観(嘘、でもホント)を土壌に、悲喜こもごものドラマを展開している。方法論としてはちょっとした実験作とも言えるけど、寂しさと悲しみと停滞感を抱えた人々が、結局のところ人とのまじわりを求め、その体温にささやかな希望を見いだすという世界観は普遍的。痴漢から始まって、こういうあったかい着地を迎えるのは、まさにピンク映画ならでは。好きだなぁ。


『熟々お姉さん 極太こねまわす』(竹洞哲也監督)。

言わずと知れた『恋味うどん』。もう劇場で何回も見てるんだけど、何度見てもやっぱり良いなぁ。吉沢明歩演じる、おバカなんだけど心優しいヒロイン。なかみつせいじの人情味あふれるうどん屋店長。本屋で始まる唐突なエロダンス。夫婦愛、親子愛、友情、それらが笑いと涙を伴いつつ展開し、最後にはちいさな幸福に着地する。ラストショット、吉沢明歩の笑顔にやっぱり涙。


『団地妻 白昼の不倫』(サトウトシキ監督)。

こちらもビデオで何度も見返した作品だけど、劇場で見るのは初めて。傑作。団地妻シリーズに外れナシ。映画の画面ってものを巧緻に、粘り強く構築する監督の凄さ。それに応える俳優陣の凄さ。とぼけた味わいを醸しつつ、徐々に人間の抱える孤独や業をあぶり出していく小林政広って脚本家の凄さ。この方々の映画作りから学ぶことってめちゃくちゃ多い。特に低予算映画で何が出来るかを考えた場合、最小で最大を表現するという方法論はホントに有用。日常って奴にしっかり立脚することが、どれだけ映画を豊かにするか。フー。道は遠い。
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2009年11月05日

『ブリュレ』ディレクターズ・カット完全版(林田賢太監督)

『ブリュレ』ディレクターズ・カット完全版(林田賢太監督)

一周忌を兼ねた映画学校での上映会。劇場版を見ておらず、このディレクターズ・カット版が初見となった。双子の高校生姉妹(中村美香、中村梨香)が、雪深い東北の町から鹿児島へと南下する逃避行を描いたロードムービー。

実際の双子姉妹を起用したことで独自の空気感が醸成され、映画の力になりえているし、彼女らの関係性を観念的にきっちり追い込んでいるため、最後まで引き付けられた。旅の途中で出会うキックボクサーや彼女らを追う同級生の男のエピソードなどは、正直余剰と思えたし、整合性を欠く部分もいくつかあるけれど、旅路の果てに辿り着いた場所での、ラストの会話(「あなたの子どもとして生まれたい」)で、ちゃんとある地平に到達している。そう簡単に書けるような台詞じゃない。作り手が悩んで悩み抜いて、やっと出てくる一言だ。ああいう観念の突き詰め方が出来なきゃ作劇とは言えないし、映画じゃないし、また見る側もそれをちゃんと汲み取れなきゃダメだと俺は思う。逆に言えば、それを持つことで、ようやくドラマは映画としての魂を持ち得るんじゃないか。

上映後のトークショーが良かった。神格化や伝説にするわけでなく、ありのままに作品を、監督の人となりを論じた加藤さんや我妻さんの話が、実に映画学校的で良かった。久々に学生時代を思い出した。あの場に引き出されて、えらそーな講師陣から痛烈に批判されて涙目になった経験が懐かしかった。プロの現場では別の意味でもっと厳しい目にあうんだけど、そこで折れない心をはぐくむことが出来たのは、やっぱりこの場所だったと改めて思った。俺は一面識もない、亡くなった林田監督もまたこの場にいたのだろう。「みんな死ぬわ、だけど映画は生き続ける!」という、『next』の台詞が思い出されてならなかった。

講師陣の話でもっとも興味深かったのが、「どう描くかではなく何を描くか」の話。「何を描くかではなくどう描くか」が映画である、というのが、どうしても映画作りのテーゼになりがちだし、それはそれで正しいと俺個人的には思うけど、けれども、根本部分はやはり「どう描くかではなく何を描くか」ということなのだと。そこに技巧や批評性ではない、原始的な、「表現者としての才能」の問題が出てくる。極端な例を言うと、「ニール・ヤングって下手だね」と言っても仕方ないだろ、ということ。

「表現者の才能」というのは、過酷で、シビアなものだ。それを持つ者はごく一部にしかいない。持ってるだけじゃ仕方がない。それを見抜く人が周りにいなくちゃいけないし、育てる人がいなくちゃいけない。そういう意味で、俺は愛校心のかけらもない人間だけど、やっぱりこの学校はいいなと思った。よし、シナリオ書くぞ! と気持ちを新たにした。

あとトークショーで出てきた、作劇上の「外堀と中心」って話も個人的にぐさっと来た。主人公の外堀を埋めていくことで、主人公=中心を際立たせる、それは確かに一つの技巧なんだけど、中心を描いていくと、必ず生身の人間としての実在感を問われる。そこでいかにして生身を描くのか。それが作り手の「原始的な才能」が問われる局面でもあるということ。あとこれはその後の飲み会で出てきた話だけど、生身の人間の「愛」みたいなものを描く際には、その場面に必ずヒトの生理を置くこと(それが馬場イズム)。その他もろもろ。

自分としては、非常に刺激になった夜だった。
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2009年10月13日

『蘇りの血』(豊田利晃監督)

『蘇りの血』(豊田利晃監督)。

豊田監督の本編復帰作。まるでプログレのコンセプトアルバムの如き幻想映画。もうやりたい放題。これは賛否両論だと思う。嫌いな人には、何をやりたいのかさっぱりわからんだろうと思う。俺は面白かった。

キャメラがいい。森の木々や川の流れを質感豊かに捉えた丁寧な仕事ぶり。「ここぞ」というときのハイピード撮影によるショットがビシバシ決まる。小栗判官の物語をモチーフにしてるし、それは中上健次好きならば「おっ」と思う題材だし、当然、熊野のつぼ湯も出てくるし(おいらも行ったことある。時間合わなくて入れなかったけど)、ちょっとジャームッシュの『デッドマン』に似ているところもある。でもきれいにまとめようとはしていない。突き抜けた物語の、先の先まで描いちゃう、ハードなテンションにぐっとくる。みんな、ロックしろよ、ロック。

主演の中村達也。顔つきもたたずまいもいい。『バレット・バレエ』のときは心許なかったセリフ回しも安定(いずれにせよセリフ少ないけど)。ヤク中のヌケ作みたいな敵役の渋川清彦がまた実にいい味。そして、新人で照手姫役の美少女、草刈麻有がいいのだ。「新鮮」ってこういうことだなと思いました。

なんせ、喜ばしい”復活”の映画である。大音響で見るべし。

12月19日よりユーロスペース他で公開。
http://yomigaeri-movie.com/
公式サイト(音が出ます)
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2009年10月09日

『アキレスと亀』(北野武監督)

『アキレスと亀』(北野武監督)

今頃見た。いい映画だった。北野武がこれほど自然に物語を語る監督になるとは思わなかった。その分、ずいぶん慎ましくてシックな映画に仕上がっているけれど、それゆえ違和感なく心に沁みた。

大森南朋扮するギャラリーの館主が「これじゃ売れない」「メッセージ性が欲しい」「それじゃただの真似だ」等とあれこれ言って主人公の真知寿を翻弄する。真知寿も自信家のタイプじゃないし、売れたいもんだから、安易に翻弄される。そしていいように使われて何の利益も得ないまま路頭に迷ってしまう。あのあたり、ライターとプロデューサーの会話みたいで泣けてきた。

自分の芸術が理解されないために自殺する奴がいる。生き延びて名をなす奴もいる。真知寿みたいにいい年こいて芸術に執着する奴がいる。そこに正解なんてない。ただ、一度きりの人生において、「面白い」と思えたものを見つけた奴が勝ちなのだ。世俗的な成功や失敗は二の次なんだと、それをある一面で示した映画として、非常に気持ち良かった。ええ、とても慰みになりましたよ。

武のフィルモグラフィとしてはいちばん近いのが『キッズ・リターン』だと思う。あの映画の最高の台詞は、エンディングのアレじゃない。ボクシングの夢に破れた金子賢が言う、「また何か探すわ」だ。あれは「人生を意味あるものにするため、何かを探さなくちゃいけない」ということを前提とした映画だ。ちょっと虚無的なのな。本作の真知寿は物心ついたときから絵にとりつかれており、その純粋な情熱は中年にいたるまで変わることはないので、最初から「選ばれた人」なのかもしれない。でも、何からも選ばれていない自分のような人間、すなわち「何か探すわ」タイプの人間でも、すごくポジティブなものを受け取ることができた。

大ざっぱに言うと、「やりたいことをやれ、リスクはあるけど」って映画だと思った。よく芸術関係のことで「夢があったけど挫折した」「諦めた」「筆を折った」という人に出会う。芸術を職業にしようとする、という意味での挫折はあると思う。それはとても厳粛なものだ。人間、喰っていかなきゃならないから。労動って大事だから。その人個人の願望や努力だけでなく、その人を取り巻く諸条件が決定する部分も大きいから。でも、逆に言うとその程度のことだ。芸術や表現なんて、別に資格が必要なものでもないし、それぞれの分野にある程度の原理原則、技術があったとしても、それを遵守すれば面白い表現になるわけでもない。しかも「面白さ」は時代によって変化する(だから『DOLLS』がいずれ再評価されることを俺は確信している)。だからいつも思う。諦めたっていうのは、生活の糧にすることを諦めただけの話だよな、と。

そりゃ芸術全般、どの道も厳しいだろうと思う。問答無用に「才能」を問われる局面が必ず訪れる。しかし、才能は多義的で、運や政治力、人付き合いのうまさ、容貌や生まれ育ちもそれに該当する。黒沢清だったか、ハスミンだったか、誰かがうまいこと言ってた。「才能とはその人自身である」と。この映画も全編「才能」をめぐる悲喜劇と言っていい。でも他者の評価とは関係なしに、好きな事をやる、その幸福をちゃんと掴んでいる人こそ、人生を生きる才能があるってことかもしれない。それが本職にならなくてもいいじゃん。やりたいことがあったらやればいいじゃん。家族は犠牲になるかもしれないし、誰も認めてくれないかもしれないけど。

……とまあ、そういうメッセージを受け取った。樋口可南子みたいな女のひとだってきっといるよ。ていうか、ああいうひといるんだよホントに。

『TAKESHI’S』もそうだったけど、貧しさの描写に関しては飛び抜けていると思う。細々と貧しさのアイテムを繰り出すのではなく、さっと一つのショットを提示するだけで、そこに生きる人々の生活を見せ切ってしまう。ああいう血の通った描写、凄いなぁ。そう、あれこそまさに映画の才能。
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2009年10月07日

『ニューハーフ・エクスタシー(アブノーマル・エクスタシー)』(サトウトシキ監督)

『ニューハーフ・エクスタシー(アブノーマル・エクスタシー)』(サトウトシキ監督)

新宿国際で明日まで上映中。TVでの脚本業を干され、出版のあてのない小説を書き綴るしがない男、古川(杉浦峰夫)。友人の紹介でニューハーフクラブを訪れた古川は、そこで美しいニューハーフ(麻倉みお)と出会い、関係を持ってしまう。たちまち彼というか彼女に魅入られた古川は、同棲生活を開始。だが、店から課せられたノルマで、客にからだを売らねばならない彼というか彼女が許せなくなった古川は……。

という話。肉体的にも精神的にも現在はすっかり女である元男との関係、その甘美さと無惨を描きつつも、つまるところは古川の孤独な心の旅路が物語の主体となっていく。ニューハーフの女以上に”女らしい”振舞いや心遣いに触れた古川。彼は彼女を独占できぬと知るや、やけくその暴力行為に奔り、結果、惨めな敗北を迎えてしまう。しかし彼には「アダルトビデオの台本、書けるような気がする……」というつぶやきが残されるのである。

杉浦峰夫のキャラクターが泣けてくる。貧しい部屋はトリュフォーの映画ポスターでいっぱい。ちっぽけなプライドを握りしめて机に向うも、才能はあまりなさそうで、愛欲以外に頼るものもなく……。かつて女子高生だった淫行相手と再会してみると、彼女もいまや人の妻。ニューハーフに振られ、いそいそと彼女に会いに行けば、一度は向こうから誘ってくれたセックスも拒否され、挙句の果てには彼女の旦那にボコられる。もう何もかもに見捨てられ、絶望し、顔面からだらだら血を流しながら雨の夜道を歩むラストカットが最高。そこでは何かが一つ、達成されている。あるいは何かが一つ、先へ先へと続くことを予感させる。

このラストシーン、当時の成人映画館の暗がりで、きっと孤独な客と孤独な作り手との共犯関係が結ばれたんだろうと思う。ザッツ・男の映画である。それがピンク映画として正しいのかどうか、今となってはさして問題ではないと思う。映画としてどうなのかを問い、問われれば、それで良いような気がする。

例によって小林宏一こと小林政広の脚本だが、後の変化球作品群に比べると、語り口はスマートで、構造もシンプル、かなりの直球勝負。そしてとことんプライベート(新作『白夜』は変化球が変化し過ぎて直球に戻ったような映画だった…)。トシキさんの生き届いた空間設計、画面の美しさもこの頃から万全だ。人を見つめる視線が覚めているように見えて、その実、作り手のひそかな情熱と息遣いをしっかり感じさせる。この感覚はなんだろう。サトウトシキ監督の映画を見ているといつも思うこと。

もう何年も前、結果的に流れてしまったホン作りの打ち合わせの帰りだった。早稲田のシャノワールの階段を降りていた監督が、ふと振り返って言い放った。「パキッとしろよ、パキッと!」。良いものが書けない原因を他人のせいにしていた俺への言葉。ゾッとした。今でも思い出すと背筋が伸びる。今日、映画を見ていてやっぱり背筋が伸びた。こまかいことに小心翼々としていてはいけない。これだと狙いを定めたことに対しては、捨て身で向かっていかなければならない。映画を作る覚悟というものについて考える。生きていく上での覚悟について考える。
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2009年10月02日

『グラン・トリノ』(クリント・イーストウッド監督)

『グラン・トリノ』(クリント・イーストウッド監督)

遅ればせながらやっと見た。新文芸座で。開巻早々、トム・スターンすばらしいなあ、と。なんだろう、このさりげなさ、冷えた情感、余計な自意識抜きで被写体を捉える自然さは。もちろんそれは演出そのものでもある。名手トム・スターンも別の映画ではまったく冴えなかったし。随所に「うおー」と言いたくなるショットがあり、シーンがあって。背景を知らないとよく咀嚼できない部分も多いけど、あんな狭い世界を飽きずに見せ切ったのはさすが。なんだか80年代を思い出す映画だったけど、街の状況的にはやはり現代社会そのものなんでしょうな。

全体的にユルめのイーストウッド=第二稿くらいでちゃちゃっと撮ってるイーストウッドだった。シーン数がやけに多いし。「27歳の童貞」扱いされる神父がおかしかった。たぶん脚本家の頭ン中ではもう少し重みと意味を持った存在だったと推察する。神父のしつこさと物事に屈しない強さが、イーストウッド扮するコワルスキー爺さんと重なり合って見えた。この二人は物語上で果たす役割において、どこかでつながっている。だけど彼の映画における神や教会や神父は、宗教映画のそれではない。いずれにせよ、この映画を心から味わいつくすにはあと10年や20年かかりそうだ。近作としては『チェンジリング』の方が凄かったかなぁ、個人的には。
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2009年09月30日

『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』(摩砂雪、鶴巻和哉監督)、『行旅死亡人』(井土紀州監督)

『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』(摩砂雪、鶴巻和哉監督)

心の底からのめり込めるアニメ映画って『AKIRA』しかない。生理的なものとしか言いようがない。見ていて、ひどく冷めてしまうのだ。新劇場版の「序」は作品自体が冷めていたような印象もあって、「破」は(まあ、見なくていいか……)と思っていた。だがしかし。

……面白かった。

相変わらず冷めてしまう場面も多々あるし、ダイジェスト的展開にはついていけない部分も多く、細かい設定や謎かけにはあんまり興味がわかなくなっているけれど、クライマックスの破れかぶれなエモーションに、ひたすら圧倒された。

旧作劇場版のラスト、人と人との融合が、どこか依存の病みを帯びていたのに対して、こちらは人と人とをつなぐための感情の暴走をあけっぴろげに肯定し、見事なラブシーンに結実している。やみくもに手を差し伸べる、ああいう感覚、わかるじゃん。膝抱えて背中向けてる娘がいて、どうにかしてあげたくて、じれったくて、感情が爆発しそうで、何とかこちらを振り向かせて、その手を握りたいっていうさ……。それがアニメーションでしかありえない形で映像化されていることに感動した。そうした割とポピュラーな感情が、なぜ気宇壮大な、宗教的モチーフと結びつき得るのかを、何となく理解させてくれたような気がした。凄いもん見たなぁ、という気分。満面の笑顔で劇場を出ることが出来た。次、早く見たい。


『行旅死亡人』(井土紀州監督)

こうりょしぼうにん、と読む。ノンフィクション作家を夢見るフリーターの娘(藤堂海)。そこへ一本の電話がかかってくる。「あの……あなたが重病で入院しました」「ハ、ハイッ!?」。いつのまにか、自分の身代りになって暮らしていた女が存在しており、その女が入院したというのだ。主人公は彼女に会いに行き……そこから先はもう書けない。何を書いてもネタバレになる。参考となる作品を挙げただけでネタバレになるので書きません。

一枚一枚、謎が解けていくミステリーの醍醐味を堪能させるが、行き着く果てはあまりにも悲しい女の生涯。それが単なるミステリーに終わらず、資本主義社会への鋭い風刺になっていくあたり、井土監督の面目躍如だ。長宗我部陽子が断トツですばらしい。というか、この女優のために作られた映画のような気さえする。正直に言うとヒロインとその友人のやりとりなど、若者のパートにはまどろっこしい部分もあるし、物語上の疑問点もあるし、低予算ゆえの苦しみがあちこちから滲むんだけど、ここぞという核は決して外さない。「やっぱ映画の核となるのは女性キャラと女優だよな!」と膝を打った。ラストシーン、込み上がる痛ましさで少し泣きました。単純に、こういう話に弱い。

http://www.kouryo.com/

今秋、シネマート新宿で公開。
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2009年09月28日

「人生はいいものだ、弟フランクよ」

一部で評判のいい、ある映画を見た20歳の子が言った。「寝ちゃいました」。笑った。今、ようやく自分はその素直さ、無責任さに還っていけるような気がしている。

たいして面白くもない一日の終わりに、性懲りもなく『インディアン・ランナー』。ラストの「人生はいいものだ、弟フランクよ」に滂沱。シンプルで、力強くて、詩ごころに満ちていて、多分に情緒的で、だけどハートがあって。そして、どこまでもリアルで、世の中に対して誠実なエンディング……。血の通った人間が作っている感じがする映画、つまり理想の映画の一本だ。溜飲が下がった。ごちゃごちゃ言わない。これが自分にとっての「映画」。
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2009年09月27日

『熟女 淫らに乱れて』(鎮西尚一監督)

『熟女 淫らに乱れて』(鎮西尚一監督)

濡れ場よりも、女性が自然な形で行う日常的な所作――料理を作ったり、窓を開けたり、掃除をしたり――といった場面のひとつひとつが艶っぽかった。そうした「何でもない場面」を色っぽいと感じさせるのは、まさに映画の力であるなぁと思った。速水今日子さんが魅力的だった。

あの新宿国際名画座に、本作が目当てらしき若者の集団客やカップルがいて、驚いた。だったらさ、もしいつか堀禎一監督のピンクが再映されたらちゃんと見てね。とは思ったなぁ。

終わった後の飲み会で、N山さんがほぼ妄想的に作品を擁護するのを聞いていて、彼をここまで暴走させるこの映画は幸福だなぁと羨ましかった。

その後、今日いちばんしなくちゃいけなかった仕事をした。
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2009年09月26日

Save me

まさか『マグノリア』を傑作だと思い直す日が来るとは思わなかった。「Save me」で泣く日が来るとは思わなかった。PTAって、『ゼア・ウィルビー〜』で突然宗旨替えしたわけじゃないのな。ずっと”人の営みを考えれば考えるほど、神にしか辿り着けない”監督だったんだな。早く言ってよ、もう! いやそれは彼が宗教屋ってことじゃなく、そうしたドラマツルギーが背骨にあるってこと。

大嫌いな映画のくせして何度も繰り返し見てきた。これ見よがしの話術や映画オタク的な模倣の連打に辟易してきた。でも突然、昨日の朝、PTAのビジョンが明瞭に見えてしまった。すべてがうまくいってる映画だとは思わないけど(あの「歌リレー」はやっぱり気持ち悪い)、それでも、「凄い」と思ったですよ。

愛を求める気持ち、そして「愛したい」という気持ちが罪の告白を誘い、それが奇跡を呼び、許しを生んで、世界はまた一日を繰り返していく。「告白」って儀式を経なければ、決して許しは与えられない、という厳格な世界観。だがいったい誰が告白をする相手として信用できる? なんせ、ジョン・C・ライリーが映画のすべてのカギを握っているわけなのだった。ラストシーン、罪を抱え込んだ娘の泣き笑いの顔がどうしてカメラ目線なのか? あれは宗教画なのだ(…ってやっぱりそこか)。ああ、もう、天才。野暮であれば野暮であるほど、その思いの真摯さが伝わってきちゃう。

むかし、PTAはアルトマンには勝てない、などとエラソーなこと書いた記憶あるけど、違うやん、アルトマンの『ショート・カッツ』に「NO」を突きつけた映画なんじゃん。もっとも、あれはあれで凄い映画だし、勝ち負けなんてくだらない発想だ。今は自分の人としての未熟さを反省している。

いやー、映画は面白い。映画は見る者の人生を映し出す鏡。

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2009年09月23日

『TAJOMARU』(中野裕之監督)

『TAJOMARU』(中野裕之監督)

ショーケンの復帰作だし、予告で見た柴本幸がきれいだったから見にいった。俳優陣がみんな頑張っていて、それだけで嬉しくなった。むかしでいうところのスター映画。つまり小栗旬のスター映画。小栗旬も柴本幸も安定していたし、魅力があった。特に柴本幸の役は相当難しいはずだけど、破綻なくこなしていて風格があった。個人的には柴本幸主演で、彼女の目線からすべてを見たかった気がしなくもない。すんごく艶っぽい、女ごころの深淵を覗かせるような異様な映画になった気がする。

時代背景を忖度せずとも、彼女に与えられた運命と物語上の役割って、ちょいとばかり整合性を欠くというか、いびつな無理難題を押し付けられた感が強い。話は飛ぶけど、遡ってマクベス夫人とかも、表面だけ見ると、行動にちょっとおかしな点がある。だから黒澤明は『蜘蛛巣城』で彼女のキャラに”流産”という悲運を設定せざるを得なかった。でも、物語を展開させる上で、あまり自然ではない行動や感情を押し付けられた女性キャラって、宝石箱のようなものなのだ。不条理な事態に、理屈で応じるのではなく、生物として対応していく凄味を表現できるんだもん。そういうの見たいなあ。作りたい。神代辰巳の映画って全般的にそういうところあるんだよなぁ。

えーと……話が飛びまくったんで元に戻すと、ショーケンも存在感があって良かった。ショーケンの演技が、というよりも、彼がそこに存在することによって、場の空気だったり周りにいる役者の演技だったりが緊張感を帯びていた。本田博太郎も山口祥行も松方弘樹も、そしてもちろんやべきょうすけも良かった。

でもいちばん良かったのは敵役の田中圭。猛烈に気合い入れまくっていて、それが上滑りもしてなかった。役としてもいちばんおいしいし。卑賤の子がショーケンにカマ掘られながら悪辣な謀略を遂行しようとするなんて、素敵やん。盗人の子は盗人のままで終わるなんて素敵やん。はっきり言うと小栗旬の役はとてもおいしくない。

映画としても、正直いろいろと首かしげたくなる部分もあるんだけど、脚本家の問題じゃない気はする。なんせ、田中圭の頑張りが見れただけでも良かったです。こんなんだから「映画に甘すぎる!」と言われるんだろうけどさ。
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2009年09月22日

『サブウェイ123 激突』(トニー・スコット監督)

『サブウェイ123 激突』(トニー・スコット監督)

ブライアン・ヘルゲランドはハリウッドで、というより、世界でも今いちばん好きな脚本家。の一人。なぜか。最近には珍しく、神だの罪だの贖罪だのといった、カビの生えたような抹香臭い主題=キリスト教的な主題を、ハードボイルドやサスペンスといったジャンル映画に惜しみなくブチ込み、「生きていることの後ろめたさ」という感覚をしみじみ味わわせてくれるから。だから『LAコンフィデンシャル』も『ミスティック・リバー』も『ボーン・スプレマシー』も、最高の上に最高だ。

生きている以上、人間誰しも罪を抱えているんだよ。

それが基本的な世界観。説明が難しいけど、人間とはどういう生き物かと問われたら、「罪を犯す存在」という答えが、割に早い段階で出てきてしまうタイプの人だと思う。ものすごく尊敬しているし、口はばったい言い方だけど、シンパシーを感じる。見てくれはこんな兄ちゃんだけど。

http://info.movies.yahoo.co.jp/detail/typs/id7445/tph/dspl/b4/

でも……トニー・スコットとの相性がそんなにいいとは思えないのだよなぁ。同じコンビによる『マイ・ボディーガード』しかり。面白いし、好きなんだけど、やっぱりなあ……。脚本家の頭にあるのはとてもシックな映像だと思うんだけど、トニー・スコットはよくも悪くも、こじんまりとした話をせいいっぱい派手に彩る「こけおどしの人」なのであって、いつものごとく映像、編集、音効(タイトルロール、摩天楼の隙間から朝日が見え隠れするたびに、キーッ! とかゴーン! とか効果が入るあたり、ギャグかと)で暴走すればするほど、なんだかいたたまれなくなってしまう。青山真治はヘルゲランドの脚本をトニスコが越えていく、と書いていたけど、演出家の目にはそう映るのかなぁ。(自信がないからって余計なことしやがって……イーストウッド御大を見習えよ!)というのがヘルゲランドの本音のような気がするけどどうなんだろう。

……とぼやきながらも、やっぱり面白かったですよ。サスペンス映画として作られながらも、根底にあるのはどこまでも抹香臭い人間ドラマだった。「脚本がクソ」と言いたい人とは、たぶん三時間くらい話さないと理解し合えないと思う。でも説明難しいし、実際「ええ加減にせえよ」と言いたくなるようなアラが多いのは事実。

……でもそれははたしてアラなのか「偶然」をめぐる哲学的思考なのか……。この映画における「偶然」と「事故」が何らかの意図をもって配置された可能性はある。いや、脚本の粗が目立つがゆえに、ムキになって「面白い、面白い」と連呼したい気持ちにはなります。

「運転室と独房は告解室に似ている」とほざき、どうやら刑務所の中でオトコに目覚め、そのくせカトリックらしく、分捕った人質を殺す際にいちいち「やはりお前が最初の犠牲か」なんて言い放つ犯罪者。そんなキャラクター造形にヘルゲランド臭がして最高だ。トラボルタが楽しそうで何よりだ。楽しすぎてすっかり不可解な人物になってるあたりがまたなんとも……いやいや、それに、たまたま事件に巻き込まれたデンゼル・ワシントンにもちゃんと「罪」を設定してあって、ああいうキャラクターの関係性を見せられると、問答無用でぐっときますよ。最後の決着にしても、スカッとするというより、ほとんど罪を抱えた人間への赦しの世界だよなぁ。

オリジナルとの比較をすべて無化した度胸は、ホント素晴らしいと思いました。

なんかもう一回見たくなってきたな。『ダウト』見た時と同じようなもやもやが残るよ。つまり、「俺が言ってることわかるか?」と作り手に試されてる感がするよ。
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2009年09月18日

『そして、私たちは愛に帰る』(ファティ・アキン監督)『ブッシュ』(オリバー・ストーン監督)

風邪悪化。江古田の某韓国料理店に行ってサムゲタン喰う。まずくて悲しくなる。サムゲタンは安い食べ物じゃないのよ。ご馳走なのよ。本場の土俗村で喰ったサムゲタンが懐かしい。

帰宅して汗だらだら流しながら内職。

『そして、私たちは愛に帰る』(ファティ・アキン監督)

ブレーメンとイスタンブールを舞台として、複雑に交錯する人間模様を描いた作品。トルコのEU加盟問題、移民といった社会問題から、不寛容という普遍的な主題を焙り出し、やがてタイトル通りの結末へ着地する。

年老いた爺さんが、年増の娼婦を買う場面から物語は始まる。爺さんは娼婦が気に入り、金で買って家に住まわせる。爺さんの息子は大学教授をしており、父のそんな行動が気に入らない。だが娼婦は故国の娘を大学に入れるために働いていることを知るや、同情的になる。人種や社会的階層を超えた、普遍的な感情を見て親しみを得るわけだな。しかし親の心子知らず、娼婦の娘は反政府組織に入って運動に没入。やがて一つの悲劇が起き、彼らの人間関係が一気に動き始める。

入り組んだ時系列と交錯する人間関係の構築が、イニャリトゥの映画みたい。テンポも良く品もある。イスラム教圏とキリスト教圏の差異に、コーランと旧約聖書の類似点(イサクの犠牲)を示すなど、わかりやすい作りに好感が持てる。なにはともあれ希望。なにはともあれ赦し。それで結構だと思う。何かっつうとブチ切れて周囲に迷惑をまき散らすヌルギュル・イェシルチャイが魅力的。暴れん坊な娘が大好きさ。


『ブッシュ』(オリバー・ストーン監督)

ブッシュジュニアの人物伝として意外にも正調。中盤までは傑作の予感がしてたんだけど、イラク侵攻後は、現実の持つ重さもあいまって、なんだか悲しくなってしまった。それでも十分面白い映画だった。

オリバー・ストーンには『ニクソン』があって、あの映画もそれほどうまくいってるとは思わないんだけど、ニクソンはブッシュに比べて人間のスケールが違う感じ。ケネディを崇拝するストーンの目には、ブッシュなんてもはや憎むべき対象でもなんでもなく、かえってその器の小ささ、ダメ人間ぶりにシンパシーすら覚える人物だったんじゃあるまいか。またそれゆえにアメリカ国民もなんだかんだ言いつつ彼を愛し、二期とも大統領を務めさせたんじゃあるまいか。戦争をめぐる場面は負傷兵を慰問する場面を除き、注意深くモニターを通して描写されていて、戦争をリアルに想像できない国民の意識を皮肉っているようだ。言いがかりをつけて中東を混乱に落とし込んだことより、自分ちの医療保険やら金融問題のほうが大事なのさ。

あの頃TVで飽きるほど見た、ラムジーやらチェイニーやらライスといった連中が、「そっくりさん大会」という形で笑い者になっている。シラクもブレアも笑い者。イラク侵攻に慎重な姿勢を見せながらも、結局はのこのこと国連安保理に出向いて戦争の正当性を主張し、大幅に株を下げたコリン・パウエルは、チェイニーから「大統領になりそこなったな」と言われ、「くたばれ」と切れる場面で爆笑を誘う。

ラストシーンで強調される、「ヒーローになりそこなった男」・ブッシュについてはいずれちゃんと評伝を読んでみたい気がする。この映画、彼の信仰に関する描写をもう少し掘り下げてくれると、『ニクソン』における最後の祈りの場面に通じる「深み」(いや、あれも深み未満な感じではあったが……)を得ることが出来た気がして仕方ない。

ブッシュの嫁さんを演じるエリザベス・バンクスが(この人こんなに魅力的だったっけ?)ってくらい可愛かった。
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2009年09月01日

『百年の絶唱』(井土紀州監督)

以前から決めていた通り、9月が始まると同時に、「T」初稿着手。長い道のりが始まる。一行一行、緊張しながら書く。

夜、乃木坂コレドで『百年の絶唱』(井土紀州監督)見る。98年度作品。ああ、あの頃、井土監督はこんな思いを抱えて世の中を見ていたんだなぁと感慨深くなる。11年前のことなんて、まだちっとも過去じゃない。あの頃の鬱屈、苛立ち、何よりも焦り。どうしてよいのかわからないあの感じ、いまだに覚えている。呪詛のような「out there…」に二十代の自分の記憶が共鳴した。葉月蛍の変わらなさ具合に驚くと同時に、佐野和宏ってやっぱり凄くいい役者。

明日、9月2日、渋谷のヒューマントラストシネマ渋谷の『童貞放浪記』19:00の回上映後、『結び目』のすばらしき主演コンビ、赤澤ムックさん&川本淳市さんがトークです。公開前の新作の俳優さん呼んでトークとか、暴走してるなぁ。

http://ospage.jp/

さらに明日は「ハードボイルドヨコハマ」も開催!

http://www.hardboiled-yokohama.com/index.html

凄い企画。凄まじいゲスト陣。これが無料とかありえんだろ! 俺、『あぶデカ』が大好きで、中高生の頃しょっちゅう真似して遊んでたんだけど、刑事ドラママニアに言わせると、あのシリーズはヌルいらしい。だからあんまり人に言えない。ドロ臭さを嫌った、洒脱さが大好きなんだけどなぁ。あ、わたくしはユージ派でした。
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2009年08月04日

まちぶせ



大道省一監督(「本当にあったありえない話」)が去年、松竹京都撮影所で撮った短編時代劇『まちぶせ』を、youtubeで見ることができます。ワンシチュエーション、オチにひねりをきかせた小品ですが、画面の力がいいなぁと思いました。みなさまぜひご覧になってください。
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